■ 『チャールズ・ダーウィンの生涯』 小泉純一郎に読ませたい (2009.8.29)


まさに胸のつかえが取れすっきりした読後感である。ひところやたらとダーウィンの言葉というのが引用されていた。曰く「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」と。あの小泉元首相が言ったとか?

ところが、この言葉は、ダーウィンの著書のどこにもないそうだ。政治家とかが自分の主張を正当化するために勝手にダーウィンを騙っていたのだという。道理で岩波文庫の『種の起源』を隅から隅までページをめくっても見当たらなかったわけだ。

2009年はダーウィン生誕200年。また『種の起源』出版150年とのこと。本書の目的は、ダーウィン研究の新しい成果を踏まえて正確な事実を伝えること。根拠なく広まっているダーウィン神話の誤りを指摘することだ。例えば、ダーウィンが進化論を着想したのはガラパゴス諸島だったのだろうか。著者によれば、ダーウィンはガラパゴス諸島で、直接に進化論に結びつくような観察はしていないし、生物進化の可能性も考えてこともないという。

ダーウィンが生物進化を確信するのは1837年以降である。だから『ビーグル号航海記』初版には進化論を示唆する内容は含まれていない。大幅に書き直した第2版(1845年)では、当時すでにダーウィンは生物進化の事実を確信していたので、とくにガラパゴス諸島のフィンチについて新たな図を挿入している。ここからガラパゴス諸島で進化論を着想したという誤解が広まったという。

それと、ウォレスとの間で繰り広げられた、進化論の先陣争い――『ダーウィンに消された男』という邦訳で刺激的な話題を提供したものだ。ウォレスの論文は「あらゆる種は別の種から生じた」という主旨なのだが、表現があいまいなために、ダーウィンは自説と同じものだと誤解したことにあるという。

ウォレスは、種と変種との闘争に着目し、それによって進化が進むと主張している。ダーウィンのいう分岐の原理のような生態学的な観点がなく、両者の考えは大きく異なる。分岐の原理とは、生態的に分岐した生物ほど生存に有利であり、その結果、生活様式の違いによって種の分化が起こり、枝分かれ的進化が進行するというものだ。ダーウィンがこの分岐の原理に到達し著述するに至ったのは、確実にウォレスの論文の前だという。

学会への発表は、ダーウィンとウォレスの共同で行われたが、ダーウィンは満足していなかった。執筆中の大著には時間がかかるので、抄訳を雑誌に掲載しようと考えた。原稿は雑誌に収まらない量になり、結果として『種の起源』として出版されることになったのである。

当時は、多様な生物の存在など自然界の巧妙な仕組みを、神のデザインとしてひとくくりに済ませる――ペイリーの『自然神学』に代表される――が主流であった。この自然神学を自然選択説によって書き直したものが、ダーウィンの進化論だとも言えるだろう。自然選択説とは、偶発的で無方向な遺伝変異が進化の素材であり、それと環境条件とのかかわりがあって新たな適応形質が生まれるというもの。無目的な自然現象の中から生物の適応、すなわち合目的性がもたらされることだ。

ダーウィンは自然選択によって種がゆるやかに変化するという考えを終生持ち続けた。しかし、トムソン説――物理学者のケルビン卿の主張;地球の年齢は1億年程度なので自然選択による生物進化は不可能――を否定できずに未解決のまま生涯を終えた。後年、放射性元素を用いた年代測定によって地球の年齢が判明し、自然選択説が疑念のないものとなったのである。


◆ 『チャールズ・ダーウィンの生涯 進化論を生んだジェントルマンの社会』 松永俊男、朝日選書、2009/8

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