■ 『花森安治の仕事』 商品テストは日本工業発展の原動力だった (2009.9.8)



暮しの手帖』が商品テストを始めたのは、昭和29年の26号からだった。編集長の花森安治は、「すこしでも、よい商品を作ってほしい、それが、この日用品テストのねがいである」と書いた。この商品テストという仕事をとおして、花森はだれも手がけたことがない、あたらしい分野を切り開いていくことになる。

第1回のソックスのテストでは、子ども用のナイロンの靴下と、ナイロンを補強した木綿の靴下を買い集め、3カ月間、小学生と中学生の女生徒に毎日はかせた。洗濯方法も回数も一定にして試験した。そして、「アナはあかない」「色はみなはげる」と報告した。人間による、くりかえしのテスト方法は、暮しの手帖のテストの原型となった。

伝説的な商品テストと言われるのが石油ストーブだ。英国製の「ブルーフレーム」(アラジン社)を抜群の1位に押した。ブルーフレームだけは倒しても火がストーブの外にもれなかった。この石油ストーブのテストは、商品テストというものの価値を世に知らせ、日本の商品を良いものに変えてゆく、きっかけになった。

商品をテストするとき、その商品の何をテストするか、そして、それをどういう方法でテストするか。このふたつが解決すれば、テストはヤマ場を越えたようなものだという。このうち「どういう方法で」というのがむずかしい。

メーカーは当然厳密なテストをしているはずだと編集部は思っていた。しかし、家庭でふつうに使うようなやり方でテストしていない。そういうことがある、とわかった。
どびんの注ぎ口がポトポトたれるという報告から、立ち会いテストが行われた。メーカーは、どびんに水を入れて注いだ。編集部は当然、熱い湯を入れた。そこが違っていた。水と湯では表面張力が違う。湯が注ぎ口からうしろに回って、ポトポトたれる。家庭では、どびんに水を入れては使わない。

日本メーカーは指摘された欠点を改良することにためらいがない。だから日本の製品はどんどん良くなってゆく。外国製品がかならずしもよくないことに気づいたのは、昭和47年のスチームアイロンのテストだった。GE製のスチームアイロンが、かんじんの蒸気が出なかった。この頃からアメリカ製品と日本製品の評価が逆転する。日本製が改良を重ねて行ったことと、アメリカ製品にばらつきが出てきた。品質管理の問題だ。

梅棹忠夫は言う、「戦後、日本の工業がひじょうに発展した原因のひとつは、家庭の電化にあったと私は見ているが、『暮しの手帖』は、その家庭電気器具の発展のひとつの推進力になっていた」。


◆『花森安治の仕事』 酒井寛、朝日文庫、1992/3 (単行本は1988年に朝日新聞社から刊行された)

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