■ 『古代国家はいつ成立したか』 邪馬台国はどこに  (2011.9.3)




日本で最初の古代国家は7世紀から8世紀に誕生した律令制国家である。国家には土地の分配・税・生産・経済など多面にわたる複雑な仕組みが要求される。この仕組みは永い時間をへて構築された。未成熟な国家の制度が試行錯誤されながら蓄積されていったはずだ。
研究者は、この未成熟な国家段階に「初期国家」の名前を与えて注目している。日本の初期国家は、古墳時代にあたるというのが、著者の主張である。


「初期国家」という耳新しい概念を著者はていねいに紹介し、律令国家への道筋をわかりやすく実証的に提示してくれる。NHKの人間大学の講義がベースになっているからだろう。それに、新しい知見をさりげなく紹介しているのもちょっと刺激的だ。たとえば、弥生時代は紀元前500年から始まるとされてきた。近年の炭素14の残留量によって木の伐採年代を決定する測定法では、弥生時代は紀元前1000年に始まるとのことだ。


日本で初めての中央政権、邪馬台国が西日本に成立したのは2世紀末。卑弥呼が没したとき、残された権力集団は巨大な墓=前方後円墳を築いた。奈良地方に列島のほぼ全域を支配する大和政権が生まれたと推定できる。

ちなみに著者は邪馬台国大和説を支持している。古代からの中国や朝鮮半島の地理観では、日本列島は九州を北に青森県を南にして、実際の位置とは90度ほどのずれがある。これは、15世紀の明の時代から保存されている地図で裏付けられるという。『魏志倭人伝』の記述から邪馬台国の位置は大和になるという。

邪馬台国から前方後円墳体制の古墳時代へと権力の集中が進み、初期国家が形成される。物資流通網の整備により、生活様式の共通化が一般民衆のレベルでも進んだ。石器に代わって鉄器がすべての分野にゆきわたり、農具や工具の刃先はすべて鉄となり生産性が大幅に上がった。鉄の武器や武具も広く行き渡った。

古墳時代は3世紀前半から6世紀まで続く。畿内では6世紀後半になると前方後円墳を営む首長は急激に減少し突然造営されなくなる。前方後円墳祭式に代わる新しい支配思想として仏教祭式が採り入れられ古墳は消滅へと向う。

初めて律令制が敷かれたのは7世紀の飛鳥京と言われている。唐の法をそのまま取り入れている。飛鳥時代・白鳳時代は律令制を日本になじむように整えた時代。平安遷都が成った710年に成熟した日本古代律令制国家が誕生した。律は社会を維持するための刑法、令は国家体制を規定する法。身分制度、官僚制度、国家による土地の占有、軍制などを整えている。


◆ 『古代国家はいつ成立したか』 都出比呂志、岩波新書、2011/8

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