■ 『ラジオの歴史』 工作の<文化>と電子工業のあゆみ (2013.9.27)




日本の電子工業のめざましい成功は、欧米からの技術導入や通商産業省の指導、企業の努力だけではなく、アマチュア――unofficialなセクターと称している――の貢献の結果である、というのが本書の主張。いま60歳を超えているだろう、元ラジオ少年にとって懐かしいエピソードが満載だ。

本書は電子工業のあゆみを"ラジオ"という電子機器を切り口として通覧している。この電子機器に魅了され、なんとか自分の手で作り上げようとするアマチュアの活躍を取りあげている。アマチュアへの技術サポートなど啓蒙的役割を担ったラジオ雑誌が数多く刊行された。これらは、ラジオ・テレビさらにはオーディオ自作ホビーの牽引車であった。今も続く『無線と実験』は、関東大震災の翌年、ラジオ放送開始前年の1924(大正13)年に創刊された。

当時の少年のほとんどが一度はラジオを組み立てたといわれる。ホビーやアルバイトでラジオ工作を経験した少年の多くが、大きくなるとエレクトロニクスを職業にした。急激に拡大成長した日本の電子工業は多数の技術者を必要とした。人材供給の面でも、元ラジオ少年がニーズを満たしたのである。

元来、無線電話、真空管の発明、ラジオ放送開始などの重要な発展の多くは米国でなされた。なかでもアマチュアの寄与が大きかったのである。例えば、アームストロングはアマチュア無線のリーダーであると共にコロンビア大学の教授をつとめ、スーパーへテロダイン受信方式や周波数変調(FM)を発明した。また、不特定多数へ向けてスピーチや音楽を送る試みをするアマチュア無線家が出てきたが、これが放送の開始につながったという。

日本では戦後、ラジオの普及は進んだが、受信機の高度化は滞った。欧米ではすでに1930年代以来、高感度で選択度の良い(混信しない)スーパーへテロダイン方式が一般化していたのに、日本では再生検波方式の旧式な並四受信機が主流であった。NHKが全国の放送局を中継線で結び同じ番組を組む「放送一元化」を行っていたので、遠方の放送を聴く高性能受信機のニーズが生じなかったのだ。また、スパーへテロダイン受信機は部品数が多く、高性能な専用部品を必要としたことにも原因があった。

ラジオのキーパーツの高性能化は標準化と軌を一にした。まず部品メーカーのデファクトスタンダードが全国統一規格となった。標準化された電子部品は市場で競争にさらされるから、部品メーカーは品質向上と生産合理化に努めることになる。電子機器メーカーにとっては部品選択の自由度が大きくなり、部品供給に不安がなくなる。品質や価格面で優れた電子部品は日本の電子工業の発展を支えたのである。

「ソニーが世界で最初にトランジスターラジオを製造した」という伝説(誤解)がある。世界最初のトランジスターラジオは、1954年のリージェンシー(テキサツ・インスツルメント社)だった。翌年にソニーが発売する。リージェンシーのトランジスターラジオは核シェルターに持ち込む非常用のニーズを当て込んでいたのに対し、ソニーのトランジスターラジオは若者文化のツールになった。

1953年には米国でエルヴィス・プレスリーの人気が爆発する。米国の若者たちはロックンロールを自由に聴けるように自分のラジオを欲しがった。ソニーなどの日本製トランジスターラジオはこれらの要望に応え、小型で価格・品質両面で強かった。

日本製トランジスターラジオが、ロックンロールのおかげで売れた、ということは米国の技術史学界の定説だという。トランジスターラジオの輸出で稼いだドルで日本の電機工業は成長したのである。


◆『ラジオの歴史 工作の<文化>と電子工業のあゆみ』 高橋雄造、法政大学出版局、2011/12

    HOME      読書ノートIndex     ≪≪ 前の読書ノートへ    次の読書ノートへ ≫≫