■ 『聴衆の誕生』 19世紀のブルジョアの影響だ  (2013.10.8)




第1章「近代的聴衆の成立」を読みおわり、次の章を読み進むにつれ、どうにも根気が続かず読了をギブアップしてしまった。結局、頭に残ったは、著者が文中で紹介しているアメリカの歴史学者:ウィリアム・ウェーバーの学説であった。

ウェーバーによれば、近代的演奏会――静まりかえった観客席で名曲に一心に聴き入る聴衆たち――の出現は、決して普遍的なものではなく、そんなに古いことではないという。19世紀のヨーロッパでかなり特殊な条件のもとに成立したもの。変化の動因は音楽文化の担い手が貴族からブルジョアへと移行したことだと。

18世紀の演奏会は、一部貴族階級の内輪の集まりであり、音楽のあるパーティといった趣の社交の場としての性格が強かった。音楽を真面目に聴こうとする人々もいたが、要は貴族社会の人間関係を維持するための場だった。こうした状況が19世紀に変わりはじめる。人々がもっぱら音楽を聴くために演奏会に出かけてゆくことになる。われわれのイメージする演奏会のありかた、音楽の聴き方の基礎はすべてこの時代につくられたのである。

産業革命を通じてブルジョアが富を獲得し、さらに市民革命を通じて権力を獲得する。彼らが演奏会を支える層として加わってきたのだ。聴衆層が飛躍的に拡大し、演奏会が商業ベースにのるようになる。演奏会を支える基盤が貴族の個人的人脈から商業ベースのマネージメントに変わる。音楽家と聴衆の関係も、不特定多数の聴衆を相手にする関係になる――こうした音楽家と聴衆の非個人的な関係に支えられた文化のありかたをウェーバーは、マス・カルチュアと呼んでいる。

音楽のマス・カルチュア化の先鞭をつけたのが楽譜出版だ。出版もかつては個人的な人脈関係による予約出版のシステムに支えられていた。やがて、リトグラフの技術向上にともない、良質な楽譜を大量かつ安価に販売できるようになった。新興のブルジョア層が家庭で音楽をたしなむようになってきており、手軽に弾けるようにやさしく編曲した家庭用楽譜の需要が大量に生じた。専門の楽譜業者が誕生し流通システムにより楽譜を販売するようになった。

マス・カルチュア化の波はやがて演奏会にも及ぶ。人々が人気のあるもの――ヴィルトゥーソと呼ばれる一群の音楽家たち――へと流れる。リスト、パガニーニなどの演奏会がそうだ。

聴衆層の拡大によるマス・カルチュア化は、一方で真面目な鑑賞を助長する効果もあった。これらの人々を対象とする演奏会も徐々に商業ベースにのるようになる。19世紀中頃には真面目派が日増しに強くなり、彼らの論調が音楽会の潮流を支配するようになる。これを境に、演奏会の様相は一変する。過去の作曲家の演奏が急速に増加しはじめたのだ。かくてベートーヴェンを代表とする作曲家の神格化が進む。およそ1870年頃までには、今日の演奏会のありかたが確立した。


◆『聴衆の誕生 ――ポスト・モダン時代の音楽文化』 渡辺裕、中公文庫、2012/2

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