■『リヒテルは語る』 《さすらい人幻想曲》がいちばん好き (2014.5.2)





本書の存在は以前から気になっていたのだが、ちくま学芸文庫から再刊されたのを機会に、手に入れてじっくり読んだ。リヒテルの人間性があふれ出てくる楽しい本でした。表紙のリヒテルはいかにも頑固オヤジの風貌だが。青柳いづみこさん(ピアニスト&エッセイスト)は、「とりすましたインタビューでは絶対に出てこないピアニスト族の<意識の流れ>を言語化した本」と評したそうだ。


リヒテルは本書の中で「だ・である調」で闊達に語り、著者ユーリー・ボリソフを「君」として扱っている。訳者・宮澤淳一さんは、親密さの人称表現に意を尽くしたようだ。教養と愛情とユーモアに満ちたリヒテルが、ボリソフを「あなた」と呼びかけることはどうしても許すことができなかったという。

こんなエピソードも出てきた ――リヒテルは、あるピアニストと、どちらが鼻で弾くのがうまいか、勝負をさせられたそうだ。曲はモーツァルトのイ長調ソナタ(K331「トルコ行進曲つき」)の冒頭。棒立ちになり、左手で伴奏を、鼻で旋律を弾いた。「倍の遅さで、しかも間違いだらけでね!勝つには勝ったが、モーツァルトが相手だったら負けていただろうね」と。

それに、リヒテルが、ピアノ曲だけに限らずに、独特の音楽的見解を吐露しているのが、なにより興味深い。スターリン時代の暗い影も見える。
こんな様子だ……
ブラームスのバラード。私はあれを葬儀のたびに弾いているのだ!みんなあれであの世に送った。スターリンも、カチャーロフも、クニッペル=チェーホワも、ユージナも、スタニスラフ・ネイガウスも……。

▽私はグラズノフが好きなんだ。交響曲第4番のムラヴィンスキーの演奏は見事だった。モーツァルトだよ、と言ったら誰もが信じる曲だ。

フランクのピアノ五重奏曲は、室内楽における《マタイ受難曲》だ。ピアノを使った音楽で、ああいう曲はほかに存在しない。うまく弾くには前の晩はできるだけ眠らないようにする。あらゆるものに飛び込んでいけるような精神状態に持っていかなくてはならないからだ。

ショスタコーヴィチでいちばん好きな3つの作品は、交響曲第8番と《ユダヤの民族詩》とピアノ三重奏曲だ。交響曲第8番は音楽の最高峰にある。ショスタコーヴィチにとってすら、あの曲は、別の惑星だよ。悲しみを誘い、心を揺さぶる。

▽自分のレコードを全部廃棄できたらどんなに幸せか。古い録音はどれも気に入らない。リストの協奏曲2曲だけはいいだろう。(キリル・コンドラシン指揮ロンドン交響楽団、1961年7月フィリップス録音)

モーツァルトを捕まえることはできない。捕まえようとすればするほど、すり抜けていく。モーツァルトには集中が必要だ。きちんと検討するためにね。それが実に難しい。いちばん好きなソナタは、最初期のヘ長調のやつ(第2番K280)だ。第2楽章が特にね。私の初恋の思い出だ。誰に恋したのかって?言えないよ、それは。

▽いちばん好きな作品は何だと思う?答えは、シューベルトの《さすらい人幻想曲》さ。私の導きの星だ。あの音楽を神のように崇めている。だからあの曲をあまり損ねるわけにはいかないんだ。

バッハの《平均律》。第1巻は純然たる音楽で高度な数学的世界だと、思い込むようになった。分け入る隙がまったくない。ところが第2巻は3つに分断できた。前奏曲とフーガの最初の8組は、少年時代で、故郷を離れてモスクワに旅立つまで。次の8組はスターリンの死まで。とにかくあの時代の終わりまで。そして最後の8組は、すでに何らかの自由があり、数々の演奏会のある時代。多くのものを失いもしたが……。


◆ 『リヒテルは語る』 ユーリー・ボリソフ著/宮澤淳一訳、ちくま学芸文庫、2014/3
     (2003年5月『リヒテルは語る―人とピアノ、芸術と夢』として音楽之友社から刊行された)

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