■ 『単純な脳、複雑な「私」』 心とは何か? (2014.1.21)






本書は高校で行った連続講義をそのまま書籍としたとのこと。高校生とのやり取りに臨場感がある。講義のテーマは「心の構造化」。意識と無意識をふくめた脳の作用全般――人は何を根拠にものごとを決断するのか。過去の記憶にはどんな意味があるのか、等々。
びっくりするような、新しい知見が随所にくり広げられる


脳の中には、様々なニューロンが発見されている。たとえば、動いているものを見たときに反応するニューロンがある――MT野ニューロンという。外界が静止していても、MT野ニューロンが活動すれば、それは私たちにとって、「動いている」こととまったく同じなのだ。つまり「脳の活動がすべて」である。脳の活動を観察すれば、事実がわかる。脳の活動こそが事実だと言える。

脳を観察していると、本人よりも先にその行動がわかる。たとえば、ペットボトルをつかもうとすると、動かそうと考える少なくとも約0.5秒前には、もう脳が筋肉を動かす準備を始めているそうだ。準備が整って、いよいよ動かせるぞとなったときに、はじめて心に動かそうという意識が生まれる。つまり「動かそう」と思ったときには、すでに脳は動くつもり。とっくに準備を始めているということ。常識的には欲求があって、初めて行動に結びつくはずだ。ところが、脳の一連の働きは逆なのだ。なんだか自分が自分でないような気がしてくる。

さらに、手に指令が行って動くのと、実際に動いたと感じるのはどちらが先なのだろう。結論はこれも常識とは逆で、動いたと先に感じるのだ。それに引き続いて動けという指令が手に行く。つまり筋肉が動くよりも前に、動いたという感覚が生じる

神経伝達のプロセスは時間がかか。だから感覚器で受容したことをそのまま感じるとすると、情報伝達の分だけ常に遅れて感知されてしまう。現実の時間と心の時間に差があるままでは、いろいろ不都合が起こるはずだ。そのために、脳は感覚的な時間を少し前にずらして、無理して補正しているのだろうと思われる。

脳は時間に柔軟性を持たせている。ガチガチに固定したものではなく、ときには先後が入れ替わるくらいフレキシブルだ。おそらくフィードバック制御の難しさを克服するためだろう。たとえば目の前にあるペットボトルをつかもうと腕を伸ばすとき。ちょっと違う方向に手が伸びてしまったときは、手の動きの修正が求められる。手とペットボトルの位置関係を判断して、随時補正し目的の軌道に戻そうという要求が。このためには、目からの情報を脳に戻すというフィードバック制御が必要となる。

フィードバックの欠点は遅いということ。いつも行動よりも遅れて始動するし効率も悪い。フィードバックに頼らずにモノをつかむにはどうしたらいいか。それは頭の中で未来計画を立てることだ。手を伸ばすためには筋肉をこういうふうに動かせばいい、その後は、こうしたらいい、といった将来へ向けた先読み。その瞬間その瞬間で、予測しながら腕を伸ばせがいい。そうして体を動かさないと、素早くてスムーズな動きはできない。

結果をまず想定して、そこから逆算して筋肉をこう動かさなければいけないとする。ペットボトルを取る、という目的が先にあり、その後に逆に原因をつくる。人間の行動は、フィードバックだけではなくて、走ったり、投げたり、ドリブルシュートしたり、会話したり、いずれも内部モデルを持っていて、それを外に向けて使うことで行動するのだ。

外部世界がすでに脳の中に経験として保存されていて、経験という世界のコピーを元に目標から計画を逆算している。そういう予測を無意識に、経験に基づいて行っている。人間の行動の大半は過去の学習によって習得した記憶に基づいている。記憶を使ってつねに未来を読んでいるのだ。脳はいつも未来を感じようと懸命に努力している。その結果として、動いたと感じてから、実際に動く、というような奇妙な現象が生じてしまうのだろう。


◆ 『単純な脳、複雑な「私」 または、自分を使い回ししながら進化した脳をめぐる4つの講義』 池谷祐二、講談社ブルーバックス、2013/9

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