■『「超」発想法』 パソコンはアイデア製造機だ  (2014.1.7)

再読ではあったが得るところがあった。発想機械としてパソコンにこそ優位性があるという主張には納得。




とかく企業トップは「新しい発想をせよ!」と言い続けるものだ。会社人間としての現役時代には、発想法と題する本を読み漁ったものである。本書を読み進み、「間違った発想法」という章にぶつかった。いまも世に喧伝されている各種の手法がやり玉にあがっているのだが。自分が強い印象を受けていた、KJ法――アイデアを名刺大カードに書き込み、そのカードを手操作で組み合わせる発想法――が批判されているとは!頭の中で行うべき作業を紙に書き出すと、発想の能率はひどく下がるというのだ。
  … 『発想法』 →こちら 、 『独創力を伸ばせ』(ブレーンストーミングとは) →こちら
 
本書では、発想の基本原則として、まず挙げられているのが、「模倣なくして発想なし」というのに、びっくりする。続いて、「考え続けること」。そして「パソコンの活用」が取りあげられている。

発想は、既存のアイディアの組み替えで生じる、と著者は言う。模倣なくして創造なしだ。新しいアイディアは、すでに存在するアイディアの新しい組み合わせや組み換えで生じる。独創的に見えるものでも、従来からあるものの改良なのだ。発想とは誰も考えつかなかった独創的なものを考えだすこと、という思い込みをやめること。少なくとも、出発点は模倣でよい、と割り切ることが大切だと。

アイディアの組み換えは、頭の中で行われる。カードなどの補助手段を活用して(例えばKJ法)でで生み出される、と考えている人もいるが、発想の過程で必要なのは、新しい組み合わせを機械的に作ることよりも、むしろ多数の組み合わせのうちから無意味なものを排除することなのだ。意味あるものを抜き出す作業は、頭の中でやるしかない。

発想の準備段階として、データを頭に詰め込む作業(勉強)がまず必要である。頭の中に何もなければ新しいものは生まれない。データの入力――つまり勉強が必要なのだ。知識が多い人ほど、新しい組み合わせを見出す可能性が高まるのだから。創造的人間の多くは、非常に大量の知識を持ち、驚くほど博識である。それらの材料を組み合わせて発想したのだ。

とにかく始めることが大切だ。準備ができていなくてもよい、全体構想がなくともよい。とにかく仕事に着手すること。始めさえすれば、そして、それについて考え続けさえすれば、アイデアはでてくる。その観点から、パソコンは、いくらでも編集できるから、アイディア製造機あるいは、発送機械と言えるだろう。だからパソコンは発想法に欠かせない。


◆『「超」発想法』野口悠紀雄、講談社文庫、2006/6 (単行本の刊行、2000/3)

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