■ 「行う動詞」が跋扈している (2009.7.27)

「簡潔さ」が、実用文書(仕事文書)の第一要件であろう。
身近な文書を点検すると、「簡潔」の趣旨とは無頓着に、冗長な表現が目につく。

なかでも気になるのが、「見直しを行う」などの、「名詞」+行う、の表現である
――これを、「行う動詞」と言っているのだが。

区役所からの連絡とか、会社では総務部署などからの文書で目につく。
……申請を行う、契約を行う、廃棄を行う、見積もりを行う、連絡を行う、等々

さらに長々しいものもある。
……脆弱性検証を行う、セキュリティ確保を行う、等々

まさに枚挙にいとまがないほどの跋扈状態だ。
敢えて簡潔な表現を避けているのでは、とさえ思える。

この「行う」動詞を使った文章は、いかにも冗長である。持って回った表現だ。
それに、どこか重々しく言いたい、権威を付けたい、との潜在意識が感じられる。
「行う動詞」の出所はお役所ではないかと思われる。官公庁からの通達、省令などから広がったのではないだろか。
何ごとにも、もったいを付けたがる、役人言葉の典型だろう。
その証拠に、簡潔な表現をモットーとする新聞ではまったく目にしない。

「行う動詞」は、ほとんどが本来の「サ変動詞」によって、すっきりと言い換えられる。
(例) 申請を行う→ 申請する、で良いはずである。
  契約を行う→ 契約する
  廃棄を行う→ 廃棄する
  見積もりを行う→ 見積もる
  連絡を行う→ 連絡する


より適切な表現への工夫が必要かもしれない。
(例) 契約を行う→ 契約する→ 契約を交わす

「行う動詞」を使ってもやむを得ないケースもあるようだ。
その名詞がすでに先行して認知されていて、サ変動詞による表現がなじまないような場合である
(例) 偽装請負が行われている



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