■ 『図説 中国の科学と文明』 ジョセフ・ニーダムの労作 (2015.8.14)
ジョゼフ・ニーダムの著作『中国の科学と文明』はつとに令名が高い。1954年に、ケンブリッジ大学出版局から第1巻が刊行され、今もなお続刊中である。第4巻からは分冊で刊行し、すでに24冊が出版されている(2008年現在)。当初ニーダムは次のように7巻にまとめる予定だったという。
(1) 序論、(2) 科学思想史、(3) 数学・天文学・気象学・地理学・地図学・地質学・古生物学・地震学・鉱物学、(4) 物理学・物理工学、(5) 化学・化学工学、(6) 生物学・農学・医学、(7) 社会的背景
本書は、この『科学と文明』のコンパクト版とも言えるものだ。ニーダムが序文を書いている。近代科学は17世紀にヨーロッパで誕生した。当時およびそれ以後の発明発見は、ほとんどが、それ以前の何世紀にもおよぶ中国の科学、技術および医学の進歩に負っているという。ただ、知識が東から西に伝来した細かい経路を多くの場合つきとめることができのだ。
中国が古代・中世にそれほど進んでいたのなら、近代科学の誕生はなぜヨーロッパにしか起きなかったのだろう。ニーダムは、中国の官僚主義的封建制に問題があったという。秦の始皇帝以後、それまでの世襲的封建領主制は破壊され、皇帝が強大な官僚組織の力をかりて支配者となった。この官僚組織は組織の規模と複雑さにおいてヨーロッパをしのぐものであり、初期の段階では科学の発展を大いに援助していた。しかし、後期になると、科学の発展を強引に抑え込み、ヨーロッパに起こったような飛躍的な進歩を阻んだのである。
フランシス・ベーコンは3つの発明、紙と印刷術、火薬および磁気羅針盤をとりあげ、それらが、宗教的信念や征服者の偉業よりも大きな力として、世界を近代へ転換させたと考えた。ニーダムは、これらの発明すべてが、中国人の手になるものだと明らかにした。
本書に10章に区分されている。主要な項目をいくつか挙げてみよう。
紙は紀元前140〜87年に発明された。最初の用途は、衣服、包装、漆器、衛生などに関連したものだった。その後、紙は8世紀にはイスラム世界へ伝播する。ヨーロッパで初めて紙が製造されたのは12世紀で、13世紀になってようやくイタリアの製糸業が盛んになった。
西洋語のアルファベットで活字印刷をするのに比べて、漢字の印刷は大仕事だった。そのために中国では活字があまり使われなかったが、1041年〜1048年の間に、畢昇(ひっしょう)は、能率のよい活字を発明する。粘りの強い粘土を使って刻み、一字ごとに一活字として火で固く焼いておき、活字を鉄の枠の中に一面に敷き詰めて印刷する。ヨーロッパにおけるグーテンベルクの発明より400年早かった。
羅針盤は古くから中国に存在していたが、航海に利用されるようになったのは、おそらく紀元850年〜1050年のあいだ。ヨーロッパ人とアラビア人はほぼ同時期に航海用に磁気羅針盤を採り入れた。船乗りが中国人との接触を通じて使用し始めたらしい。ヨーロッパの書物に磁気羅針盤の記述が初めて現れたのは1190年である。
帆走技術や船の構造技術について、本書では、中国人は歴史上最高レベルであった、と述べている。しかし、資料も少なく説得力が弱い。たとえニーダムの言であるとしても、乱暴な結論である。風上への帆走技術にしても、イスラムとの比較が欠かせないはずだ。中国に先進性があったとは、読者として納得できるものではない。
一方、香港のジャンクに見られる、船の防水隔壁構造については、現代の船舶に広く採用されているものであり、中国の船舶技術に源流があることは間違いない。
← 修理中のジャンクの写真
船の中に防水隔壁が設けられることがわかる。西洋に導入されたのは18世紀末だった。
■ 『図説 中国の科学と文明 (改訂新版)』ロバート・テンプル=著/ジョゼフ・ニーダム=序文/牛山輝代=訳、河出書房新社、2008/10(改訂新版初版)
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