■ 『〈はかる〉科学』 モーツァルトはメートル尺だったか (2007.11.10)
読み進むうちに、モーツァルトのオペラ 《フィガロの結婚》の第1幕冒頭が目に浮かんできた。主人公・フィガロが有頂天になって部屋の広さを測っている様子だ。領主から結婚のお祝いとして新しい居室をプレゼントされた。婚約者・スザンナを相手に、こんな大きな部屋をもらったんだよと大喜びで自慢している。たしか、《フィガロの結婚》は本来フランス革命前後が時代背景のはず。フィガロが測っていたのはひょっとしてメートル尺かもしれない。
本書は「はかる」研究会(ユニークな名前だ!)の講演集がもとになっているそうだ。「はかる」ことは、人間の根源的な欲望を満たす手段でもあり、さまざまな行為のなかでも、ポジティブな方向性がある、と言っている。まさに、この場のフィガロではないか。本書の取り上げているテーマは幅広く深い。度量衡の歴史的展開からはじまる。国土や都市をはかる試みでは、古代シュメールの土地計測から人工衛星画像による分析まで。さらには、音楽美の数量化とか、キリスト教神学における罪と罰のはかり方までだ。
なぜ「はかる」ことを取り上げるのか。本書はこう言っている。われわれは、時計、物差し、温度計など、さまざまな「はかる」道具を使って、多種多様なものごとをはかっている。「はかる」という語に当てられる計・測・量・図・謀などの漢字が示すように、はかることの内容は広い。「はかる」ことは、外界に働きかけて生活資料を手に入れるのに不可欠であり、農業社会の成立にともなって成長し、重要性は飛躍的に増大した。社会を組織し秩序を維持するための基本条件だと。
フランスではかつて度量衡の単位が際限なく複雑であったという。全国で800ほどの異なる度量衡の単位が併存していたとか。隣り合った村の間でも、さらには同じ村のなかでさえ、異なる度量衡が用いられていた。度量衡はものの大きさや重さをはかる物理的尺度だが、同時に「はかる」ことを通じて人々の生活や社会を規制し組織する社会的制度である。領主が所領内で度量衡を制定し、計量標準の原器を保管する特権をもっていたのだから。
商品経済の発展とともに、富裕なブルジョワなどの間で、度量衡統一の必要性が高まった。度量衡の統一は市場の統一と経済発展の前提だからである。領主による恣意的な度量衡の決定とか原器の独占を撤廃すること。自由な取引を実現することなど。度量衡統一の要求は領主権に対する抗議とセットになっていたのだ。
まったく新しい度量衡体系――メートル法の成立は、フランス革命を待たねばならなかった。メートル法は、子午線の4000万分の一を長さの基本単位とし、十進法にもとづいて長さ・体積・質量を体系づけている。メートル法では、はかる単位ははかられる対象から独立している。はかられる対象の違いにかかわらず、その長さ・体積・重量は同じ単位ではかられる。「自然から導かれてきた単位」は不変で公正な単位であり、領主の恣意的な単位を超えて、客観的で不変の度量衡の根拠をもたらすと考えられた。
本書のテーマはさらに広がる。感性とか美とか、音楽とかを、普遍的に共通する視点ではかることはきわめて困難だろう。罪の重さとかはどうなるのか。この本のテーマは、「はかる」を考えることになっているが、実は「はかれないもの」を追いもとめたことでもあると。読者の視野を広げてくれることは間違いない。
◆『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』 阪上孝・後藤武編著、中公新書、2007/10
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