■ 『人は放射線になぜ弱いか 第3版』 少しの放射線は心配無用 (2011.6.8)



福島原発は、力まかせに解決できる問題ではないだろう。危機管理能力を備えたリーダーが、技術的課題をしっかり理解して、
360度の視野に目をくばり長期的に取り組む必要がある。

それにしても、放射性物質の飛散がずっと続いているのが、気がかりである。
神奈川県西部で出荷された新茶――あしがら茶というらしい――から基準値を超える放射能が検出されたそうだ。
このような報道では、「数値は基準を超えているものの、健康には問題ありません」と言うのが、きまり文句だ。


そんなとき、書店の店頭で本書がちょうど目に入った。副題には「少しの放射線は心配無用」とあるからだ。

地球上に生命が誕生して以来すでに40億年近くがすぎている。放射能は地球の誕生当初からから存在するし宇宙からも降り注ぐ。
人類をふくめた生命体は、このような苛烈な放射能環境のなかを生き抜いてきたはずである。
放射能に対応するメカニズムを当然備えている、と著者は言う。
自然放射線くらいの微量被ばくには、人間の体は耐えうるように適応進化しているにちがいない。

本書の主張は、誤解をおそれずに簡単に言い切れば、
  放射線リスクには「しきい値」があるということ。
ある値以下(低線量)であれば、被ばくによる損傷は、身体の防衛機構によって完全に修復される。放射線の遺伝的影響は心配無用であると。

現行の放射線規制は、国連科学委員会と国際放射線防護委員会が通告しているものであるが、
「放射線のリスクは線量とともに直線的に増加し、しきい値は存在しない」という仮説に基づいている。
「安全対策としては、怖がりすぎるほうがよい」という考え方なのだ。

先進国で法律にまで採用されている放射線のリスク値は、実際の資料にもとづいていないあてずっぽうである、と言う。
「放射線はどんなに微量でも毒である」という誤った常識が、恐怖症の原因になっているが、科学的根拠はない。
むやみに、放射線を怖がりすぎることはない、ということだ。

人間の放射線被ばくによる発がんリスクでも、しきい線量率が存在するという。
ベラルーシの数十万人を超す大規模なデータ調査で、白血病が事故後増加しなかった事実は疑う余地がない。
この調査からも、白血病の発生には、しきい線量率が存在するのだ。

……放射線被ばくの影響については、まだまだしっかりした科学的裏付けのあるデータが少ないな、というのが正直な読後感である。


◆ 『人は放射線になぜ弱いか 第3版 少しの放射線は心配無用』 近藤宗平、講談社ブルーバックス、1998/12(2011/4)

    HOME      読書ノートIndex     ≪≪ 前の読書ノートへ    次の読書ノートへ ≫≫