■ 『こんな夜更けにバナナかよ』 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (2013.10.28)




ひとりの障害者――フロンティアといえる――の命をかけた闘いから、様々な問題を心に刻みつけられた。福祉制度、ボランティアのあり方や人生のテーマまで。意味不明のタイトルは本書を読み進めて判然とする。

鹿野靖明は筋ジストロフィー患者である。筋ジスには、遺伝的・臨床的な違いから多くの病型がある。幼少期から重症化する患者の大部分を占めるのがデュシェンヌ型。鹿野は小学校6年のとき、デュシェンヌ型と診断され、15歳で立てなくなり18歳で死ぬだろうといわれた。現在は、進行が遅いベッカー型とされる。

なぜ筋細胞が壊れるのか。1987年、アメリカの研究者が、デュシェンヌ型の原因遺伝子を明らかにし、筋肉の細胞膜を形成するタンパク質の一つであるジストロフィンの欠失のために筋細胞が壊れることを突き止めた。

鹿野は完全看護の病院を退院し、いまケア付き住宅に暮らしている。人工呼吸器をつけての完全自立生活である。鹿野は言う「退院してからもう5年がたった。本当に、日本の在宅福祉・医療は、言葉だけだと思う。毎日が自分との闘いの連続だった。なんで命を削ってまでボランティアを探し、1日4人もの人に介助を頼まなければならないのか。でも、フロンティアはそれをやり抜かなければ、世の中は変わらないんだと思う」と。

ケア付き住宅とは、障害者が必要なときに、必要なだけのケアを、アパート内に待機する介助者に頼めるという住宅システムだ。原型は福祉先進国スウェーデンの「フォーカス・アパート」にある。障害者が、施設や親元に隔離されることでしか生きられない現実を脱し、普通(ノーマル)に生きたいという自立生活の希望を実現するために、障害者団体が提起し続け実現したものだ。障害者の生き方の幅を広げ、地域で暮らすのに不可欠なものと考えられる。

どうにか命を鼓舞して鹿野はボランティアとともに生き続けている。痰を吸引するにも、食事をするにも、トイレに行くにも、寝返りを打つにも、人が要る。1日24時間、1年365日、途切れることなく介助のローテーションを組む必要がある。日々の大半はベッドから動けない。朝・昼・夜・寝る前と1日4回、水分バランスを利尿剤でコントロールし、強心剤を飲み心臓の拍動にムチを入れるのだ。

鹿野はワガママだろうか。障害が重いことを逆手にとって、イバッていると思わせる瞬間がある。新人ボランティアの研修の場でも、「できないことはしょうがない。できる人にやってもらうしかない」と割り切る。障害を、そうやって社会や他人に強く押し出して行くたくましさを、鹿野は身につけている。

有償の専従介助者である才木美奈子は、鹿野と接する時間が、他のボランティアとは比較にならないくらい長い。鹿野と同年齢であり、週5回の昼を担当している。保育者としてのキャリアが長く、小回りのきく介助で、さすがといえるエキスパートぶりを発揮する。鹿野に対する子ども扱いや、おちょくりなども、ためらうことなく介助に同居している。それに対して、鹿野は、もちろん痛烈に腹を立てることがある。「才木もう来なくていい!」と言ったこともある。ときにケンカにまで発展しかねない濃密な対話が2人を対等に結びつけているのか。

本書のあとがきは鶴田浩二のセリフで結ばれている。山田太一さんが脚本を書き、『男たちの旅路』シリーズの1作として放送された「車輪の一歩」からだ。《一歩外へ出れば、電車に乗るのも、少ない石段を上がるのも、誰かの世話にならなければならない。迷惑をかけまい、とすれば、外へ出ること出来なくなる。だったら迷惑をかけてもいいじゃないか?勿論、嫌がらせの迷惑はいかん。しかし、ぎりぎりの迷惑はかけてもいいんじゃないか。かけなければ、いけないんじゃないか》

鹿野靖明は、2002(平成14)年8月21日に生命をとじた。死因は心筋症による不整脈。42歳であった。


◆ 『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』 渡辺一史、文春文庫、2013/7

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