■ 『楠木正成』 底流に反骨精神がある (2013.4.30)



中公文庫の『楠木正成』を手に取った。もちろん古本。表紙が素敵だ(菱川友宣画「楠公父子訣別図」)ということもあるが、先年亡くなった(2012/10没)丸谷才一が解説の筆をとっていることが大きな理由だ。丸谷は旧制新潟高校の出身であり、著者の植村清二はその丸谷の高校時代の恩師である。解説には恩師への尊敬の念が思わずあふれている感がある。



南北朝時代を象徴する人物は、この1世紀のうちにあわただしく改まったと丸谷はいう。第一が戦前および戦中の楠木正成である。次が戦後における足利尊氏。そして第三が最近の後醍醐天皇である。足利尊氏を論ずる自由は、数十年にわたって奪われていた。禁が解けたとき、尊氏は実証的な史観によつて検討され、現実政治の英雄となつたと。

抜身の太刀を肩にかつぐ髪の乱れた騎馬武者像によって尊氏は有名である。ただしこれを高師直の肖像とする説もあるらしい。

本書、植村清二の『楠木正成』は1962年、至文堂「日本歴史新書」の1冊として刊行されたもの。当時この楠木正成は季節はずれな人気のない主題であった。それに植村はもともと皇国史観とはまったく無縁な東洋史学者である。彼が旧制松山高校から旧制新潟高校に転職したのも、軍事教練優先の教育に反対したためであった。本書の刊行には反抗精神の底流があったのだろう。

丸谷は本書の解説をこう締めくくる ……
 著者・植村清二が楠木正成について最も喝采を惜しまないのは、戦争の才でも政治的見通しでもなく、その「稜々たる反抗的精神」であった。「楠木氏には新田氏のように足利氏と両立しない理由は存しないのに」、敢へてその方途を選ばなかつた。それを著者は「権力に対する反抗的精神」のあらはれと解釈した。

 正しいだろう。だが、その正しさの背後に、わたしは先師植村清二の心意気を見たい。彼は軍国主義的教育に反対して転任させられたり、敗戦の3カ月ほど前に(言ふまでもないことだが、当時、言論の自由はまつたくなかつた)、教室で戦後の世界はどうなるかを説き、それによつて日本帝国の将来を露骨にほのめかしたりする稜々たる気骨の男でありながら、しかも大変な照れ性だった。さういふ男が、心のどこかで、敢へて自分を正成になぞらえて書いた本といふ性格が、この『楠木正成』にはあるやうな気がする。違ふだらうか。


◆ 『楠木正成』 植村清二、中公文庫、1989/1

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