■ 『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』 (2010.12.02)



真珠湾攻撃の英雄が、戦後には一変してキリスト教に回心し、アメリカをはじめ世界中を飛び回り伝道の日々を過ごす。本書は、真珠湾攻撃の総隊長・淵田美津雄の自叙伝を、中田整一が編集し解説を加えたものである。大きな曲折があるが、一人の男の真摯に生きた記録であることは間違いない。

ルカ伝の一節、「父よ、彼らを赦し給へ。その為す処を知らざればなり」に触れたとき、淵田は突然の啓示をうけたという。アメリカ人女性マーガレット・コヴェルの両親(宣教師)が日本軍に殺されたときの、その最後の祈りが分かったのである。「彼らを赦し給へという彼らの中に、お前も含まれているのだぞ」と。

戦後間もなくの、マーガレット・コヴェルやドゥーリトル東京爆撃隊の一員であったジェイコブ・ディシェイザーとの偶然の出会い。これらをとおして、淵田は憎悪と復讐の連鎖を断ち切ることの啓示をうけたのだろう。

軍人にとって最高のバイブルであった「軍人勅諭」の価値観も、それによって支えられた軍隊という組織も、根本から否定されてしまった。茫然自失のなかで、しかも多くの戦友や部下が死んでいったのに自分だけが生き残ったことへの慚愧の念。戦後の荒波のなかで、何を精神的な支えとして生きていけばよいのか。こういった心の悩みを掘り下げ、思索し続けていたのだ。淵田は「軍人勅諭」の呪縛から解き放たれて「平和の伝道者」への道を模索した。

本書の主人公・淵田美津雄は奈良県の四方を深い山に囲まれた小さな村に育った。閉鎖的な山村を脱出して洋々たる海へ、東郷平八郎に続こうと海軍へとすすむ。幹部への登竜門である海軍大学校甲種学生の超難関試験を突破する。

当時、航空機は飛躍的な威力躍進の時代をむかえていたが、日本海軍は日本海海戦の呪縛からぬけきれず、大艦巨砲の夢を追いつづけていた。そんなとき淵田は突然に真珠湾攻撃――山本五十六のアイデア――の総指揮官の命をうける。2カ月前のことだ。水深の浅い真珠湾では従来の魚雷電撃法は使えない。鹿児島湾で連日猛訓練を繰りかえしなんとか水深12メートルでの魚雷の打ちこみが可能になった。攻撃は全搭載機360を2波に分け、第一波189機、第二波171の波状攻撃とした。

真珠湾攻撃では独立した6隻による空母艦隊を編成した。旗艦赤城や加賀など航空母艦6隻を一つの艦隊に集中し、空母と航空機の数を増すことにより集中運用の柔軟性と打撃力、防御力の強化をはかったのだ。着想は世界を一歩ぬきんでていた。

続くマレー沖海戦では、プリンス・オブ・ウェールズを撃沈する。航空威力の前には戦艦はもはや沈むだけの存在でしかなかった。真珠湾とマレー沖の戦訓は、いち早くアメリカを目覚めさせて、空母主力の大機動艦隊創建へと、アメリカ海軍の建て直しにとりかからせた。しかし日本海軍は、かえって航空威力に反目し依然として戦艦主力の艦隊決戦の夢を追っていた。これは、やがてミッドウェーの壊滅的敗退へとつながる。

淵田は原爆投下の調査に従事した。原爆投下第2日目の広島に入り被害の概況を大本営に報告する任務。何のプロテクションも施さないままに3日間被害調査に従事した。9日には原爆が長崎に落ちたとの報。翌10日には終日長崎の被害調査に従事した。あとでこの調査団の一行の多くは、原爆症で死んだという。淵田にはなんの影響も出なかったそうだ。この奇跡的な事実が、後日キリスト信仰へと導くきっかけにもなったのか。


◆『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』 淵田美津雄・中田整一、講談社文庫、2010/11
  (講談社より単行本として2007/12刊行)

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