■ ショスタコーヴィチ:交響曲 第11番 ――エネルギッシュな熱演 (2008.4.25)



新日本フィルの演奏会に行く。プログラムの後半は、ショスタコーヴィチの交響曲第11番。指揮は客演のニコライ・アレクセーエフ。エネルギッシュな熱演を腹一杯聞いた印象である。最後の楽章で合間に聞かれたイングリッシュホルンが救いだったか。 2008.4.24(木) サントリーホール。

この交響曲、1905年ソ連/ペテルブルグに勃発したいわゆる「血の日曜日」をテーマにしたものだという。生活に困窮した市民が宮殿へと押しかけるが、軍隊によって沈静化された事件。1917年のロシア革命への導火線となるもの。全曲は4楽章構成だが切れ目なく演奏されるので、革命図絵といった様相で、民衆と軍隊との抗争を圧倒的な大オーケストラの力で描き出している。

冒頭ハープのつぶやくような響きから始まる。なにかを予感させるテーマである。弦合奏が重なるのだが、こちらのテーマはどこか女性的に聞こえる。それにティンパニの、これも不気味なテーマずっと静かにくり返される。ティンパニは全曲を通しても、このテーマをくり返すようである。

楽章の切れ目はよく分からないのだが、あからさまにドンパチを描き出しているようなシーンが登場する。民衆と体制側・軍隊の衝突か。重量級の戦車も登場したのではないか。途中、第3楽章と思われる部分、これはレクイエムだろう。死者をいたわる響きがヴィオラで先導され、やがて全体の弦合奏へと広がる。

第4楽章は圧倒的なマッシブなオケの強奏。リズミックである、そして響きは明るい。解放感も感じられる。このあたりの切れの良いオケをコントロールする指揮ぶり――当夜の指揮者・ニコライ・アレクセーエフの独壇場なのか。大音響が収まって、イングリッシュ・ホルン(だと思うが)の吹くテーマが印象的である。かなり長く吹かれる。抒情的でもあり、救済的なイメージが醸される。女性奏者であった。

のど自慢の鐘(チューブラーベルと言うのか)が鳴り響く大フィナーレであった。例によってショスタコーヴィチ得意の、これでもかとばかりの戦いのテーマ。エネルギッシュな曲想に対応した指揮であった。新日本フィルもかなりの体力勝負。いつか聞いた同じくショスタコの第4番を思い出した――大野和士が振ったはずである。→ こちら


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