■ 『手塚治虫クラシッククラシック音楽館』 ブラームスが好きだった (2008.11.25)
手塚治虫は音楽一家に生まれた。小学生のころ母からピアノの指導を受けバイエルなどのピアノ練習もしたようだ。後年ピアノの腕前を披露することもあったらしい。父も若いころから音楽好きで大量のレコードを所有していたとのこと。漫画家として活動を始めてからは、仕事部屋でラジオの音楽番組を一日中つけっ放しにしていたという。
「鉄腕アトム」が日本初のアニメとして白黒テレビに登場したのは1963(昭和38)年である。アニメは、音楽や音響効果なしでは考えられない、と手塚治虫は言っていた。音楽の選択にも熟慮したようである。本書には、手塚自身のエッセイから、音楽センスあふれるこんなエピソードが紹介されている。
「鉄腕アトム」の試作品(パイロット・フィルム)≠つくったとき、作曲や演奏をするゆとりがなかったので、こっそりレコードで間に合わせたそうだ。リカルド・サントス――今は昔。イージーリスニングの王様だったか――の演奏曲を使った。これが奇妙なことに「鉄腕アトム」にはピッタリだったそうだ。しかし、アトムの主題歌としては、著作権もあって、たいへんな問題である。あわてふためいて作曲家に、これと雰囲気がそっくりでオリジナルなものを注文したそうだ。できあがったのがあのアトムのマーチである。
ブラームスとの結びつきも印象的である。手塚治虫のご贔屓はひところチャイコフスキーであったそうだ。あるときフルトヴェングラーの指揮するブラームスの第1交響曲を聴いてから、俄然ブラームス狂に変わってしまったという。著者によれば、漫画家と音楽家という違いはあるけれど、手塚治虫とブラームスには類似性があるという。
手塚がついに手をつけなかった分野に、「巨人の星」のようなスポーツ根性ものがある。1970年代に一世を風靡したものだ。汗みどろで人情べったりの世界を手塚は描く気がしなかったのではないか。ブラームスはオペラを除いて傑作を残している。手塚は、スポ根もの以外のほとんどの分野に優れた作品を残している。ブラームスと手塚治虫は、こんな点から、どこか似ていると。
これほど手塚が愛したブラームスなのに、漫画への登場がついに一度もなかったそうだ。エッセイにこんなことを書いているが、屈折した感情があったのだろうか。
……ブラームスは後期になればなるほど古典的な渋さに固執して、自分の世界に閉じこもってしまった。この心情はわからないわけでもない。ブラームスの晩年に輩出したさまざまなロマン派の作品は、彼に大きな失望とあきらめをもたらしたのではないか。そしてブラームスを古典的なものの殻にますます閉じこめたのではないだろうかと。
マンガ界にも同じようなことが繰り返されている。マンガブームのなかでは、オーソドックスな作品を蹴散らして従来のパターンの破壊がどんどん現れている。フィーリングのみに終始して内容やテーマを無視したような作品も多くなった。これがマンガの将来につながるものか、単なる時代の申し子なのかはわからないが、従来のパターンをかたくなに守らざるを得ないマンガ家――私も含めて――にとっては一抹のさびしさを禁じえないと。
当時の劇画ブームのなかで書かれた文章だ。
◆『手塚治虫クラシック音楽館』 手塚治虫+小林準治、平凡社、2008/11
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