■ チョン・ミョンフン指揮 ストラヴィンスキー 《春の祭典》 (2003.4.17)
東京フィルハーモニーの第673回定期演奏会をオーチャードホールで聞いてきた(2003.4.11)。
指揮はチョン・ミョンフン、ソリストは予定していたヒラリー・ハーンが、インフルエンザで来日不可とのため、代ってジュリアン・ラクリンが出演。ラクリンは、アンコールのイザイの「ヴァイオリンソナタ3番」が熱演でした。
R.シュトラウス:交響詩 《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ストラヴィンスキー:《春の祭典》
やはり期待は《春の祭典》。舞台一杯のオケにいやがうえにもテンションが高まる。実に爽快なスカッとした、ホールに鳴り響く大オーケストラの咆哮を堪能した演奏会でした。テンポも速い。大雪原を、快速列車が雪を蹴散らして爆走する感じであった。いつもはヴァイリン群のやや無機質な響きが気になるのですが、今回は曲想にぴったりの音色。メンバーの集中力・合奏力も万全でした。前日にサントリーホールでの定期があったためでしょうか。
毎回、プログラムの野本由紀夫さんの解説を楽しみにしています。《春の祭典》は1913年の作曲でもう90年も経ち、いまや「古典」とのことだ。今回も、表(構成表)を活用した解説がわかりやすく、新しい視点を教えてくれる。例えば、この作品の強弱法(ダイナミクス)の全体構成が、「持ち上げて、落とす」パターン。徐々にディミヌエンドする箇所がほとんど皆無とのこと。第1部「大地礼賛」は「昼(=太陽)」かつ=生、第2部「いけにえ」は「夜」かつ「死」を表現している。第1部の序奏部をブーレーズは「リズムの対位法」と呼んだとのこと。リズムのエネルギーや、音色変化、音量そのものが、音楽を進行させるので。
今年2003年7月には大野和士が日本に戻って、東京都交響楽団で 《春の祭典》
を振るので、これまた楽しみである。
4月1日に東京フィルハーモニー交響楽団と新星日本交響楽団が合併した。新しい「東京フィルハーモニー」の初めての定期演奏会。指揮はスペシャル・アーティスティック・アドバイザーのチョン・ミョンフン(Chung,Myung-Whun)。新しい誕生に相応しい記念碑的な快演であった。
当日はうっとうしい梅雨。出張の帰りに浜松町からそのまま渋谷に回る。時間に余裕がなく、じりじりしながら山手線に乗る。傘の波をかきわけて会場のオーチャードホールには開演10分前になんとか到着。重いカバンをクロークに預けて席に着いたものの汗が引かない。座席位置はステージからわずか7列目。ほとんど指揮者の真っ正面。
ステージにオーケストラ・メンバが登場。かつての東フィルの顔顔を第1Vn、第2Vnそこここに見ることができて安心した。左右両脇に電光ニュース風の字幕表示装置(何というのか?)が立つ。
指揮者チョン・ミョンフンが登場。大きな拍手のあと指揮棒を振り上げると、オーケストラの隅々にまですごい緊張感がみなぎる。第1楽章、冒頭Vnに続いて、チェロ、コントラバスの低弦楽器のアタックがある。オーケストラ・メンバの緊張感がますますつのる。気合いも入っていた。このぞくぞくするような感じは、めったに味わたことがない。凄みのある演奏であった。チェロの弦がぶんぶん唸る響きがそのまま体に感じる。
かつて、ロンドンDECCAのLPでショルティ指揮のロンドン交響楽団の演奏を初めて聴いたときを思い出した。鮮烈なショッキングな、ロンドン独特の鮮鋭なメリハリの強い録音であったが。
終楽章の合唱は飽和感がない。合唱も人数が多いにもかかわらず統率力が届いている。第1楽章の葬送行進曲から、第5楽章の復活へと大きな流れに緊張感が続く。アルト(小山由美)の歌いぶりにも胸を打たれた。
演奏終了後に、オーケストラのメンバに笑顔が見られたのが印象的だった。足をうち鳴らしたり弦をうって、聴衆と共にチョン・ミュンフンに拍手していた。本当に自分たちの演奏に全力を尽くしたというすがすがしさを感じた。第2Vnでしょうか、途中で弦を切ってしまうほどの熱演でした。
チョン・ミュンフンの指揮は今回初めて聞いた。スケールの大きな、切れ味の鋭い演奏である。オーケストラ・メンバの緊張感から見るとリハーサルが厳しいものだったのではないかと推察される。前回の東フィルの《復活》と比べると、残念ながらオーケストラの意欲が全然違っているなと感じたものです。
カーテンコールに登場した男女2人は誰でしょうか、両親それとも兄弟? 会場でソニーの元会長・大賀典雄氏の顔も見ましたが、いつもの精悍さが薄れちょっとお年をめされた印象を受けました。