■ クプファー演出 《ニーベルングの指輪》 (2001.4.1訂)
NHK衛星TVで深夜、バイロイト音楽祭の《ニーベルングの指輪》全曲を放映していた。たまたま《ラインの黄金》(2001.3.3)と《神々の黄昏》(2001.3.24)を見ることができた。キセル方式ではあるが。残念ながら《ワルキューレ》と《ジークフリート》は見逃してしまった。《黄昏》の方は0:45〜5:30にもなるので眠気を我慢しながらの視聴であった。
確か1991年6、7月のバイロイト音楽祭の録画、ユニテル制作とのクレジットがあった。演出はハリー・クプファー、指揮はダニエル・バレンボイム。歌手はちょっと、こちらが不案内でもあり、耳にしない人ばかり。かろうじてジークフリートのイェルザレムとか。《黄昏》ではマイヤーがワルトラウテの役で出ていたようだ。聴衆は入れずに録画している。
◆《ラインの黄金》
冒頭、舞台前面には死体と思われるものが横たわっている。これはジークフリートか、輪廻転生を象徴しているようでもあるが。《ラインの黄金》はスペキュタキュラーな導入劇との役割もある。まともな役割はローゲだけだし。しかし、なかなか楽しめる演出でした。
ライン川を象徴する強烈な光の演出が印象に残る。コントラストの強い緑の光線が舞台側から逆光で投射される。その中をラインの乙女が川底に潜んだり川面に浮遊したりする演出。光の放射点は奥の一カ所から、くるくる動く様は、《2001年宇宙の旅》を思い出させるシーンである。もっとも幕切れのワルハラへの入場は、まるで歌舞伎町でもあろうか電光ネオンの巷であり品がない。
ウォータンを初めとする神々の服装は時代不詳である。狩猟者のごとき衣装。女神はギリシャ悲劇風ともとれる。ローゲのみが現代風。巨人はとんでもなく大きいので動きは鈍重。山車のようなのが隠れていて動かしているようだ。台詞に合わせてかろうじてぶらぶらと手が動く。逆にニーベルハイムの小人は、スターウォーズ風の衣装。アルベリッヒとの争いは、鉄棒ジム風のジャングルの中である。
◆《神々の黄昏》
ジークフリートはジークフリート・イェルザレム。ブリュンヒルデはアン・エヴァンズ。ハーゲン:フリップ・カン他。イェルザレムは好調、ブリュンヒルデのエヴァンズはまあまあ。しかしハーゲンのフリップ・カンというのは何者。黒サングラスをかけヤクザの親分風、まったく気に入りません。もっともハーゲンに格調の高さを求めるのはナンセンスか?
奥深いライン河畔の森から物語はスタート。運命の女神の登場場面、林立する金属パイプは十字架と思われるのだが、日本人には全くテレビアンテナに見える。そういえば最終場面ではテレビが出てくる。第3幕のジークフリートの死に出てきたのは、ウォータンかな。クプファーの演出は、その場を象徴する人物を時空を超えて出し入れするのが特徴か?
最終幕、ワルハラ城が崩壊し、ライン川に呑み込まれた後、舞台には何人かの現代風男女が登場しワイングラスを片手にテレビを見ているのである。そして幕切れ。グンターはそのまま残る、という演出。所詮テレビの中の電気紙芝居との意図だろうか。子供2人が手をつないで退場するのはありきたりで陳腐。
やはりバレンボイムの指揮するオーケストラが雄弁である。メリハリのある演奏で存在感を示す。テンポを思い切って動かし、思い入れもたっぷり。
あの演出は4作全部見ないと多分真意は伝わらないかもしれません。元演出が1988年なので、チェルノブイリ原発事故がかなり意識されていると思います。ジークフリートの第1幕のミーメの洞窟?はまるでメルトダウンした原子炉のようですし、第2幕の森も事故直後の原発の建屋のようです。神々の黄昏の3人のノルンの場面はTVアンテナを意識しているのでしょう。
最後の場面。神々の終末という大事件を、着飾った大人たちがTVでシャンパンを片手に見ているというのは、現代の文明そのものの象徴だと思います。幕がギロチンの刃のように斜めになって降りてくる中、二人の子供が手をとりあって懐中電灯を片手に歩んでいくさまは、それがたとえ苦しく暗中模索の状況ではあってもこういった現代文明とは違った道をとって行くべきだというクプファーの強い主張の現れだと私は考えています。
舞台左端にいる男はアルベリヒです。男の子はアルベリヒを懐中電灯で一度照らしますが、すぐに反対方向へ歩んでいくのは特に衝撃的だと思います。アルベリヒの指輪に象徴される権力と富を即座に否定しているのですから・・・。クプファーはもっと多くの意味を持たせているかもしれません。
私が生で見たのは92年でした。その時のバレンボイムはもっと熱気にあふれた指揮をしていましたし、歌手もブリュンヒルデがデボラ・ポラスキだったので最高に感動しました。収録されたブリュンヒルデがアン・エヴァンスだったのは残念です。でもすばらしい演奏には違いないですね。
ラインの黄金で最初に「寝ている」人物は、私はアルベリヒだと思います。実際その寝ていた位置から「ライン川」に登場しますし・・・。虹のエレベータでの退場は品がありませんが、ヴァルハラへの神々の入城とはそれだけの意味しかない、という風にも受け取れます。あと、一度もヴァルハラ城が「映像として」表現されていませんよね。他の演出でよくあるように、遠くにみすぼらしい書き割りを配置するよりはずっと想像力を喚起されて私には好ましいです。