「文書」とは何だろう。広辞苑など手近にあった辞書をひっくり返して調べてみた。
『新明解国語辞典』(三省堂)では次のように説明されている。
文書:事務上の手紙・書類
文章:幾つかの文でまとまった思想・感情を表したもの
文 :考えを(幾つかの)言葉でつづり表したもの
強引に結びつけると、文書>文章>文>言葉 という関係が成り立つ。
確か、作家のヴィクトル・ユーゴと出版社との往復文書は「?」と「!」だったはずである。
たった一つの記号が文書として役割を十分に果たしている。
1940年、潰滅の危機に瀕した英国の宰相の座についたウィンストン・チャーチルは、政府各部局の長に次のようなメモを送った。
われわれの職務を遂行するには大量の書類を読まねばならぬ。その書類のほとんどすべてが長すぎる。時間が無駄だし、要点をみつけるのに手間がかかる。同僚諸兄とその部下の方々に、報告書をもっと短くするようにご配慮ねがいたい。
(1) 報告書は、要点をそれぞれ短い、歯切れのいいパラグラフにまとめて書け。
(2) 複雑な要因の分析にもとづく報告や、統計にもとづく報告では、要因の分析や統計は付録
とせよ。
(3) 正式の報告書でなく見出しだけを並べたメモを用意し、必要に応じて口頭でおぎなった
ほうがいい場合が多い。
(4) 次のような言い方はやめよう;「次の諸点を心に留めておくことも重要である」、
「……を実行する可能性も考慮すべきである」。
この種のもってまわった言い廻しは埋草にすぎない。省くか、一語で言い切れ。
思い切って、短い、パッと意味の通じる言い方を使え。くだけすぎた言い方でもかまわない。
……真の要点だけを簡潔に述べる訓練は考えを明確にするにも役立つ。
(『理科系の作文技術』)
チェックリストは、宇宙飛行士たちにとって地球に帰るための唯一のパスポートであった。
一つは地上からの指示によって、あり合わせの部品で空気清浄装置を作ること。材料の大きさを具体的に表す工夫、間違いなく伝達するための工夫が必要であった。
もう一つは、最後の地球突入へのチェックリスト、これは作業手順書である。地上から声で送信して、宇宙空間で受信して紙に直して、確認する。通常であれば3カ月かけて作成するのを、3日間で作った。
管制室では、郵便受けの工作をはじめるように指示した。いままで誰も見たことのないものの作り方を、無線を通じて、ことばだけで説明するのは、それほど簡単な仕事ではなかった。
「さて、では、テープを3フィート、つまり、腕の長さぐらいに切る。これが2本必要だ」という調子で、カーウィンが仕事にとりかかった。クルー・システム技術者は、「30インチ」と「2、3フィート」と「腕ぐらいの長さ」のどの表現が適切か悩んだあげく、二つの言い方を採用することにしたのだった。
ことばによる表現の問題は、再突入チェックリストの伝達でも起きることになる。
宇宙飛行に使うチェックリストというのは、中には電話帳ほどの厚さになるものもあるくらいで、ふつうなら作成には3ヶ月はかかるはずのものだった。ホワイト・チームには3ヶ月どころか、丸3日の時間もなかった。
スワイガートはのちに、ホワイト・チームのチェックリストがなければ、とうてい無事に戻ることはできなかっただろうと述懐している。この帰路では、かつて試したこともないことを、たくさんしなければならないはずだった。
(ヘンリー・クーパー、立花隆訳『アポロ13号奇跡の生還』)
技術文書の目的は、その技術文書を読んだ人に仕事をさせること、仕事を動かすことでである。
すなわち、技術文書=仕事文書という位置づけになる。文書を読んだ人は何らかの仕事(企業活動)をすることになる。何のアクションにもつながらないものは技術文書ではない。
技術文書にはそれぞれ仕事を動かす目的がある。
・マイクロソフトのExcelのマニュアルは、それを読んだ人に、Excelを動かして表計算ができるようにしなければならない。
・研究報告書であれば、それを読んだ人に新しい製品の開発提案を考えさせるとか、同じ手法を使ってみようと思わせるとか、何らかの技術的刺激を与えなければいけない。
・機能仕様書を読んだ人は、それに従ってプログラムを開発しなければいけないのだ。
・議事録を読んだ人は、決定事項を確認し次の会議で回答すべき宿題を考えなければいけない。
目的の仕事を達成するためには、読んだ人に誤りなく行動してもらうことだ。意図通りに動いてもらうことが必要である。交差点を左に曲がるのか右に曲がるのか、あるいは直進するのか、はっきり指示してくれないことには目的地に到着しない。Excelを開いたらどのボタンを押せばよいのか、事故の原因はどのモジュールなのか、具体的に指摘するのが技術文書の使命である。
現代社会では「情報」という言葉は非常に広い意味を持っている。情報サービス産業とか、極秘情報とか、情報化社会とか、いろいろに使われている。
例えば、広辞苑をみると<判断を下したり行動を起こしたりするために必要な知識>と載っている。また、新明解国語辞典には<状況に応じた適切な判断を下したり
行動を取ったりするために必要とされる知識>とある。
情報処理分野のシャノンなどによる学問的な定義は別にして、
<情報とは仕事を動かすものである>と言って良いであろう。
従って、「技術文書とは情報を運ぶ媒体である」と言い換えられる。文書を読んだ人は、情報によって仕事をする。仕事とは、情報に従ってある機能を実現することである。
◆文章ぜんたいが論理的な順序にしたがって組み立てられていること。
一つの文と次の文とがきちんと連結されていて、その流れをたどっていくと自然に結論に導かれること。 ………………順序
◆相手(読者)は、まっさきに何を知りたがるか、情報をどういう順序にならべれば読者の期待にそえるか、ということが考えられていること。……構造
理科系の仕事の文書を書くときの心得は
(1)主題について述べるべき事実と意見を十分に精選し、
(2)それらを、事実と意見とを峻別しながら、順序よく、明快・簡潔に記述することである。
(『理科系の作文技術』)
技術文書では最初に事実の記述とのこと。であれば「事実とは」何だろうという疑問にぶちあたる。このままでは芥川龍之介の「藪の中」の世界になってしまう。事実はそれを見た個人の中にだけあるだろうか。それではワープロのキーボードをたたいて文書を書くこともできない。
もう一度『理科系の作文技術』を見ると
事実とは
<しかるべきテストや調査によって真偽(それが真実であるか否か)を客観的に確認できる>
ものとある。
意見とは
事実に対比すべきものとしての<考え>。推論(ある前提にもとづく推理の結論)や判断(ものごとの価値などを見きわめてまとめた考え)がある。
次の文章はどうでしょうか?
(1)ビル・ゲイツの年齢は今年60歳である。
(2)営業は情報化が最も難しい業務の一つだ。
(3)パソコンを導入した成果は、ハードとソフトを導入しただけで得られるものではない。
マイクロソフトのホームページにはビル・ゲイツの経歴が載っている。従って、(1)は事実であるが、ゲイツは1955年生まれであるから60歳は誤り(偽)である。混乱を避けるために、(1)のような場合を「事実の記述」という。
一般的でなく特定的であるほど、また漠然とした記述でなくはっきりしているほど、事実の記述は情報としての価値が高い。また、抽象的でなく具体的であるほど読者に訴える力が強い。
たとえば、山にのぼる。日本人は、そんなとき、こんなふうな文章を書く―「朝の冷気を吸いながら夢中になって登ってゆく。小一時間も歩いただろうか、急に視界がひらけて高原に出た。名も知らぬ花がちらほらと咲いていた」
しかし、イギリス人は、おなじ経験をたとえばこう書く。
「午前7時に出発。気温18度。方角を北西にとって50分後に標高1200メートルの高原に到着。タムラソウの群落あり」
おなじコースをとって、あとからおなじところに行こうとする人のための手引き書としてどちらが役に立つか、といえば、文句なしにイギリス式記録文だろう。どんな準備をしていったらいいか、どんなことに注意すべきか、イギリス人の書いた克明な記録は、徹頭徹尾、役に立つ。
プログラムの使用法を説明するマニュアルについては、「分かりにくい」 とか、「説明が概念的で何を言っているのか分からない」などと悪名が高い。原因としては、ソフトウェアやコンピュータ用語が未成熟であること、カタカナや英略語が多いなどがあげられる。しかし根本的には書き手が読者のことを考えずに、独りよがりで書いていることに原因がある。
特定の職業分野だけで使われる専門用語をジャーゴン(jargon)と言う。先に挙げた「タスク」とか「リエントラント」などはジャーゴンである。特に広い読者を対象とする技術文書(マニュアルなど)では、ジャーゴンを使わずに分かりやすい言葉で表現することが要求される。ジャーゴンを使う場合には、あらかじめやさしく定義してから使わなければいけない。