「文章性悪説」というのがある。よほどの達人でない限り一般人の書く文章は、書き出された直後は「悪文」なのである。書き流したままでは、独りよがりの文章であったり、道筋が通っていなかったり、誤字・脱字がそのままだったりするのである。
自分の書いた文章の悪い点は、自分ではわからないのである。自分の書いた文章は悪文である、という認識が第一に必要である。ある人によれば、文章はカラオケに似ているとのこと。「人が下手なのはすぐに分かるが、自分が下手なのは全然分からない」。
以下の内容は、『第三版・悪文』(岩淵悦太郎編著)の要約で悪文の条件を挙げたもの。
文章の構造に、わかりにくさの要因がある。
文が非常に長い
主語が文の初めの方に出ていなくて、もう文が終わろうとする所になって始めて顔を出す。
それぞれの修飾句が長すぎて、意味が簡単にはつかみにくい。
持って回った言い方
「すべて、一読してわからないような文章は悪文である、ときめつけるのは軽率かも知れない」
すらりとすぐ頭にはいるのをよい文章とすべき。そして、内容の中心点がうまく伝えられるようでなければならない。
私は「日露戦争でバルチック艦隊を発見し、敵艦見ゆとの電報を打った信濃丸」の乗組員です。
かぎの使い方を不注意に見過ごしたり、耳だけでこの文章を受け取ったりすると誤解が起きる。かぎを無視すると、この文章は@「電報を打った」というのが「信濃丸」だけにかかるとも言えるし、またA「乗組員」にかかるとも言える。
お役所の出す文書 様相を呈する→模様である
市民を対象として調査を行う→市民について調査する
運転に支障を来す
文章の構成を最初に十分に考えて書かず、思い浮かぶままに片はしから書いていった場合。
日本語では、文末が最も重要。根本的な性質を示す語が文の最後にくる。そのセンテンスの肯定、否定、推定(未来)、回想(過去)、疑問など一番重要な判断は日本語では文末で決定される。
日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
分かりやすく書くために
◆分かりやすい文章とは「AはB」の形の、AとBとの距離が近いセンテンスです。
ハの行き先を早く明示すること。
◆最後に打ち消しがくるような場合には、早く、打ち消しがくるのだぞ、という予告をしておく。打消しがあとから来るということを表す副詞−「必ずしも」とか「決して」とかいう言葉−それを早く前に使っておけば人を迷わせないことができる。
(例) 必ずしも、このワープロは使いやすいとは言えない。
修飾語の後に名詞
名詞と修飾する言葉の関係では、名詞の方が修飾する言葉よりも後からやってくる。そのために日本語で長い修飾語を聞いていると、どういうことが言いたいのかさっぱりわからない。最後まで聞いて、はじめてなんだこのことを言いたいのかと思うことがある。
名詞+動詞
名詞とそれに関係のある動詞がくる場合、名詞がいつも先にくる。これは自然の順序にかなっているのだが。
「溝へ落ちた」というような言い方で、日本語では「溝」の方を先に出す。英語はそうではない。
日本語はオブジェクト指向なのである!?
大から小へ
・時間・年月日:大きく「午前」と言って、それから「6時45分」と、だんだん小さい方へ順々に言う。
・場所・宛名・姓名:広いところを先に、狭いところをあとに順序を追って並べる。ヨーロッパでも電話帳では苗字の方を先に出して並べている。
時・所・誰
「いつ」、「どこで」、「誰が」を順に並べるのが、日本語では自然である。読んだとき、内容がすんなりと頭に入る。
(例) ○ むかしむかし、あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。
× お爺さんとお婆さんが、むかしむかし、あるところに、住んでいました。
なるほど、我々は昔から母親の寝物語で訓練されていたのだ!
中学校以来ずーと英語を勉強してきた。その影響は計り知れない。頭の中に英語の構文が染みついているのである。自然な日本語を書くためには、英語の亡霊を払拭する必要がある。
主語は不要
日本語には主語がないのだ、と断言する人もいる。日本語の文章では、主語が省略される場合が普通である。「誰が何々をした」と、いちいち言わなくても内容は伝わるのである。
英語では主語が必須である。このため構文上の主語として、It、He、We、Youなどが使われる。このような英文の主語を几帳面に翻訳する人がいるが、日本語としては不自然である。
例えば、相手に指示するときに、「あなたはEnterキーを押すこと」とは言わない。「あなた」
を略して、「Enterキーを押して下さい」とだけ、言うはずだ。
ところが逆に、このごろは英語的日本語の影響を受けた文章を見るケースが最近は多い!?
無生物を主語とはしない
日本語では無生物を受身の主語とはしないのが普通である。
・何が彼女をそうさせたのか →(日本語では)「どうしてあの人があんなことをしたのか」
・そのニュースは私を驚かせた →(日本語では)「ニュースに驚いた」
関係代名詞による複文 複数の文章に分けて書くこと
プログラムのソースコード中の各命令から文法的な意味を読み取る努力をしてきたコンパイラ作成者によって、構文と意味との区別がはっきりさせられてきた。対話型システムを設計するときには、ユーザーの知識を構文ー意味モデルで考えるとよい。このモデルによるとユーザーは、操作する装置に依存した構文知識と、問題解決のための意味知識を持っていると考えられる。
(『ユーザインタフェースの設計』)
have、make の亡霊?
We have a good time 楽しい時を過ごしました。こういう言い方は日本語にはない。
能動態で書く
ソフトウェアの分野では、「コンピュータがどのように動作して、何をやるか」、ということが重視されるため、英語の影響の強い受け身の文章が多いのが現状である。
しかし、技術文書は能動態で書くように訓練しよう。能動態であれば誰が何をやるかがはっきりし、主体が明確になる。また自信にあふれた文章ともなる。
新聞を読まない人はいないと思う。少なくとも小学生時代から何十年と読み続けているはずだ。テレビ・ラジオ欄だけという人もいないだろう。無意識に新聞記事の表現形式や文体から大きな影響を受けているのである。新聞記事は限られた紙面で多くの情報を伝えるために独特の記述形式を生み出している。技術文書の書き方として参考にすべき点も多い。しかし新聞記事の約束事項を、そのまま仕事の文書に取り入れるわけには行かない。
重点先行
・重要情報の先行
どこで切りつめられても、重要な情報は伝わるように
・凝縮的な表現
限られたスペースに出来るだけ情報を詰め込む
体言止めの多用。「が」で文章をつなぐ
・平易な表現
専門用語や略称の付加説明が長く冗長になるときがある
・受け身の表現の多用
新聞記事では、---とみられている、といわれている、---等々受身の表現が枚挙にいとまがない。これは新聞が客観性を要求されるということから、なるべく記者を第三者側に立たせ、読者を事態から一定の距離に置くための配慮であろうか。ある一面では責任回避とも取れる。