■ ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番 ――東フィル定期から (2000.11.11)

東京フィルハーモニー交響楽団 第421回定期演奏会 2000年11月10日(金) オーチャードホール
ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番 指揮:井上道義

ショスタコーヴィチの交響曲第15番は不思議な音楽である。最晩年 69歳の作曲、もちろん最後の交響曲。皮肉っぽい諧謔的な響きが終始する。一貫して活躍する打楽器は、現実世界の活力や喧噪を象徴するのであろうか。また何回も引用されるロッシーニとかワグナーの調べも現世の回想なのだろう。

第1楽章であふれ出たエネルギーは、楽章を追って衰退する。リズムも弛緩して行く。第2楽章はまるで葬送行進曲である。この交響曲はショスタコーヴィチの白鳥の歌であろう。しかし、聞き終わった後にはさわやか感が残る。

井上道義と東フィルの演奏はコントラストのはっきりしたもの。音の響きもクリアでオーチャード・ホールの音響特性にマッチングした熱演であった。東フィルの実力を見直す。打楽器の活躍も忘れられない。

来月の定期はマーラーの交響曲第9番。ショスタコーヴィチからマーラーと並べた東フィルのプログラミングの仕掛けに感心します。大野和士への期待が大きい。


◆ショスタコーヴィチ:交響曲第15番
・第1楽章(アレグレット) ロッシーニの《ウィリアムテル》序曲からの引用が5回ある。
・第2楽章(アダージョ) 金管のユニゾンで始まる。暗い陰鬱な響き。リズムが沈潜する。チェロの独奏はショスタコーヴィチ自身の別れの言葉のよう。楽章は明らかに葬送行進曲である。最後の全奏は回想的な印象を示す。
・第3楽章(アレグレット) 対照的にスケルツォ風。
・第4楽章(アダージョアレグレット) ワーグナーの引用から始まる。全奏があるのだが、崩壊の予感を感じる。運命のモチーフが繰り返す。甘美な瞑想的なメロディは、人生の余韻を響かせて回想的である。打楽器が線香花火のようにきらめくうちに、最後の静けさとなる。




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