■ 『ねじとねじ回し』 この千年で最高の発明 (2018.8.7)



1543年の鉄砲伝来のエピソードが忘れられない。日本人が初めてねじと出会ったのは種子島に漂着したポルトガル人から購入した火縄銃によってである。鉄砲製作を命じられた島の刀鍛冶は、未知のねじ構造を教えてもらうために自分の娘をポルトガル人にさし出したらしい。ねじには大きな保持力がある。ねじを固定するのは釘とは異なり摩擦ではない。螺旋状のねじ山が木の繊維に入り込むことによる力学的な作用だ。

著者ヴィトルト・リプチンスキはカナダの大学で建築学を学び、現在はペンシルベニア大学で都市学を教えている。ことの起こりは、ニューヨークタイムズ紙からの記事依頼の電話だった。テーマは、この1000年で最高の発明というもの。文献などを渉猟するもののなかなか切り口が見つからない。行き詰まりのなか、妻の「いつも家に置いている道具がある。ねじ回しよ」とのひとことで、「ねじ回し」に着目することになる。


まず『百科全書』(ディドロ・ダランベール編、1765年刊)にあたてみる。短い刃と楕円形をした平たい木製の柄のついた工具の図版があった。最初のねじ回しは、1700年以前にフランスに存在したのか。次にあたったのは、アーリーアメリカン様式の道具や工芸品を6万点ほど蒐集・展示した博物館。シェフィールドの工具職人の本があった。そこに載っている料金表には、あらゆる種類のねじ回しがそろっている。

技術革新が武器から始まることは少なくない。火縄銃はルネッサンス期に生まれ、あっという間に近代火器へと成長する。1500年代の終わり、発火装置は4つのねじで銃身に留められるようになった。連続射撃しても振動で発火装置が緩まないよう釘の代わりにねじが使われている。射撃手は部品を交換するために、ねじ回しを常に携帯していた。

現代の旋盤の元になったのはねじ切り用の機械である。クランクを手で回して金属片を箱の中へと導く、箱の中には鋭い刃が取りつけられていて、ねじ山を正確に切る。かたわらには、短い柄のついた道具が作業台の上に置かれている。カッターを調節するのに使われたのだろう――ねじ回しのご先祖様だ。15世紀最後の25年の頃。ねじ回しとねじは、だいたい同時期に発明されたのだ。その場所はドイツだった。


16世紀半ばにはねじはさまざまな場面で使われるようになる。イングランドではねじ作りは家内工業としておこった。1760年にはねじの生産方法が確立される。船や家具、高級家具調度品や自動車製造にも使われるようになる。米国ではねじの製造方式の改善が進み、20世紀初めには、米国式の製造法が世界中で使われるようになった。

ねじ締めの効率化を目的として、ソケット付きねじが登場する。四角い頭部に続いて、1936年には、十字の溝をもったフィリップスねじが誕生する。ねじ回しの刃が滑って溝から飛び出すことがない。1936年には、キャデラックの組み立て作業に使われ、効率の良さが立証される。第2次世界大戦によってフィリップスねじは標準となり戦時産業で広く使われるようになる。

ねじの基本は複雑な3次元の形(螺旋)である。スパイラルではない。スパイラルは固定された一点を中心に半径を広げながら描くカーブ。時計のゼンマイのイメージ。螺旋(ヘリックス)は円柱のまわりを一定の角度に傾いて巡る3次元のカーブである。ねじの原理は15世紀以前には理解されていたようだ。中世では印刷機にもっとも広く使われていた。てこ棒を回して板を押し下げ、インクをつけた活字に紙を押しつける仕掛けだ。ローマ以来使われてきたオリーブオイルやワインの圧搾機は、のちの印刷機とほとんど区別がつかない。




アルキメデスが発明したと言われる「水ねじ」(揚水用)は、そもそものねじの始まりだろう。水ねじは、直径30センチで長さ5メートル前後の巨大なねじを、木製円筒に入れた装置。わずかに傾けて筒を固定し片端を水に浸す。外側の足がかりを踏んで装置全体が回転させる。端から入り込んだ水がねじの螺旋状の仕切り(ねじ山)にそって先端まで上がる。ゆっくりした回転だが能力はかなりのもの。ナイル川の農業用灌漑に使われた。

著者は、アルキメデスを「ねじの父」と讃えている。水ねじは人類史上初めて螺旋が使われた例である。アルキメデスのような天才数学者だけが、螺旋の幾何学について理解し、実際にどう応用できるかを想い描くことができたのである。


◆ 『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』 ヴィクトルト・リプチンスキ著/春日井昌子訳、早川書房/ノンフィクション文庫、2010/5

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