Ⅰ 文書は仕事の基本

 ◇基調テーマ:仕事を動かす
 ◇文書によって、相手(読み手)を動かして、
  正しく間違いのない仕事をしてもらうこと

 1.ITエンジニアへの要求
 ◇ITの特質:無形・変化・ヒト

 2.目的:仕事を動かすこと
 ◇情報とは行動を変える力:仕事を動かすこと
 ◇技術文書の要件
正確性・十分性・伝達性・作文ルール
 



【はじめに】

アメリカのデル・カーネギー(鉄鋼王とはまったくの別人です)の書いた本に、『人を動かす』というのがある。1936年に原著・初版が出版されたが、いまや全世界で2,000万部に達するという超ベストセラーである。冒頭に、「人を動かす3原則」が掲げてある。①相手を理解する ②相手の長所を考える ③相手の欲求を生かすこと。人を動かすためには、相手をよく理解するが第一だという。

本書の基調テーマは「仕事を動かす」である。文書によって、人=相手(読み手)を動かして、正しく間違いのない仕事をしてもらう、という趣旨である。意図した通りに人を動かすためには、相手の理解レベルに合わせて文書をきちんと書き、書き手の考えが誤りなく伝わることが大切である。相手をよく理解することだ。

「仕事」というのは、大げさな意味でなく、「体や頭を使って働くこと」と考えたい。用を足す、あるいは、何らかの任務を果たすことと考えよう。

例えばこんなことである。
・課長が不在の時にかかってきた電話の内容をメモすること
・昨日行ってきたX社の新製品発表会の様子を報告すること
・顧客からのクレーム内容を調査して社内対策を依頼すること
・業務の拡張に合わせて情報システムの開発を外注すること
・社長に新しい製品の開発計画を説明して決裁を得ること

対象とする文書は、仕事で必要とするもの=技術文書である。実用の文書とも言える。たった1枚の設計メモから、何冊にもわたる大規模プロジェクトのドキュメントまでだ。

文書は仕事の基本である。書き手の意図した通りに仕事を動かすためには、良い文章を書くことが必須条件である。例えば、立花隆(『二十歳のころ』)はこう言っている。

人を動かし、組織を動かし、社会を動かそうと思うなら、いい文章が書けなければならない。いい文章とは、名文ということではない。うまい文章でなくてもよいが、達意の文章でなければならない。文章を書くということは、何かを伝えたいということである。自分が伝えたいことが、その文章を読む人に伝わらなければ何にもならない。


また、野口悠紀雄(『「超」文章法』)はこう言っている。

仕事における文章術で一番大切なことは「通じる」ということである。
報告書、企画書、提案書などの実用文の必須条件である。



【技術文書の分類】
本書で対象とするのは、「技術文書」である。すなわち、仕事のあらゆる局面で、様々な役割を果たしている文書である。例えば、次のようなものである。

企画書、プロポーザル/提案書、設計仕様書、設計メモ、議事録
市場調査報告、研究報告、出張報告、営業日報、作業週報
操作マニュアル、製品カタログ/説明書、取扱説明書、会社案内
事故・障害報告書、苦情処理レポート、特許申請書
連絡メール、掲示版、……等々

技術文書は以下のように、2種類(A類、B類)に分類できる。
本書で対象とするのは、B類――他人に読んでもらうもの――である。

A類――自分だけが読むもの (個人的なメモ・記録ノートなど)

B類――他人に読んでもらうもの
B-1 用件のメモなど ……特定の個人
B-2 出張報告、技術報告、議事録、企画書など ……特定のグループ
B-3 マニュアル、取扱説明書など ……不特定多数

B類=仕事の文書=技術文書は、相手が正しく理解してくれなければ役に立たない。間違いなく相手に通じることが要求される。

さらにB類は、特定の個人に通じればいいもの(B-1)、特定のグループに通じればいいもの(B-2)、不特定多数の相手に通じなければならないもの(B-3)に区別される。

相手にしっかりと間違いなく仕事をしてもらうために、文書を書く上での制約は、B-1→B-3の順番に一層強くなるだろう。不特定多数に向けての文書は、分かりやすくするために表現上の工夫が最も要求されるはずだ。

個人的メモは、書いた直後は確かにA類に属するのだが、時間が経つにつれB類へと変身するものだ。だから、たとえ個人的なメモであっても、技術文書として他人が読むもの、という心構えが必要になる。



BOOK 『アポロ13号奇跡の生還』 確実な情報伝達には冗長性が必要  
 月面着陸のミッションを負ったアポロ13号は、地球から30数万キロの宇宙空間で突然の爆発事故を起こす。2基の酸素タンクがだめになってしまった。2系統の電力供給ラインも1つが死んでしまう。エネルギー源がなくなり水も供給されなくなる。酸素なし、水なし、エネルギーなしで、零下100度以下の超低温空間を3人の宇宙飛行士はどうやって生き抜くのか。

宇宙飛行士は司令船から月面着陸船に移動する。着陸船がいわば救命ボートとしての役割を果たすことになる。しかし、着陸船は3人もの飛行士が何日も乗り組むようには設計されていない。飛行士たちの吐き出す二酸化炭素をいかにして捨てるかという重大な問題もあった。結局飛行士たちは、地上からの指示に基づいて、あり合わせの材料で空気清浄機を製作するはめになる。

爆発で失われた、酸素・水・電力・燃料の残量を計算し、月を周回して地球に戻るように軌道のずれを修正する。地上の管制官スタッフは綿密なシミュレーションを繰り返す。最後には司令船に戻り、救命ボートの役割を終えた月面着陸船を切り離す。一番の問題は地球に再突入する手順。再突入のチェックリストは、飛行士たちにとって地球に帰るための唯一のパスポートだ。

見逃せないのは、チェックリスト(手順書) の重要性と、ことばによる表現の問題。たとえば、着陸船のなかで空気清浄機を自作するとき。いままで誰もみたことのないものの作り方を、無線を通じて、ことばだけで説明したのである。簡単な仕事ではない。

「テープを3フィート、つまり、腕の長さぐらいに切る。これが2本必要だ」という調子で。地上の技術者たちは、「30インチ」と「2、3フィート」と「腕くらいの長さ」のどの表現が適切か悩んだあげく、2つの言い方を採用した―― 情報を確実に伝えるためには冗長度を高めること。

◆『アポロ13号奇跡の生還』 ヘンリー・クーパー著・立花隆訳、新潮文庫、1998/10




1.ITエンジニアへの要求

本書は読者としてITエンジニアを想定している。
ここで、IT(Information Technology 情報技術)の特質を考えてみよう。

ITの特質として、3つのキーワード――無形・変化・ヒト――が考えられる。無形と変化は、経産省の諮問委員会 *1の言葉を借りているが、これに「ヒト」という3つ目のキーワードを加えている。ITでは、特にヒトとの関わりが強いと考えるからだ。

委員会報告によれば、ソフトウエアという財は、目に見えない「無形」の価値であること。さらに情報サービスの取引においては、仕様の「変化」を余儀なくされることが生じる。また時間の経過とともに、ユーザーを取り巻く内外の要因が、要求した仕様に「変化」をもたらすこともあるという。

ITビジネスと「技術文書」とのつながりを、無形・変化、さらにヒトという観点から見直すと、次のような特質や課題が浮かんでくる。

無形 ・仕様をきちんと書き表すことが難しい
    ・問題点が目につかず隠れたままになってしまう
    ・成果物の完成度が最後まで分からない
    ・見積やコストを把握することが困難である
・不祥事の発生ポテンシャルが高い

変化 ・技術革新のスピードが速く環境の変化に追従できない
    ・業界動向、規制緩和など企業を取り巻く環境も変わる
    ・顧客の要求がシステム開発の進捗と共に変わっていく
    ・外部委託が拡大し人的資源が流動化する

ヒト ・ソフトウエアの開発はチームが前提である
・ヒト同士の情報伝達・情報共有の効率化が要求される
・ヒトは短いサイクルで代わるが、ITシステムの寿命は長い
    ・技術の伝承と蓄積はヒトと文書の問題である


*1 報告書:「情報サービスにおける財務・会計上の諸問題と対応のあり方について」
      ―情報サービスの財務・会計を巡る研究会― (2005/8月)



【文書への依存度が高い】
ソフトウエアは無形であり、その実態を的確に表現するには文章の力を借りるしかない。表現が適切でなかったり、余計な色が付いていたり、情報が欠けていれば、ソフトウエアの実態を正しくつかむことはできない。IT分野では、とりわけ文書への依存度が高いのである。たとえば次のような局面である。

・顧客との約束ごとを文書に残すこと
・チームのメンバー同士で情報を共有すること
・メンテナンスに備えて保守ドキュメントを整備すること

文書が不備であるために、ITビジネスの現場では次のようなトラブルが頻発している。トラブルを未然に防ぐためにも文章力が必要とされる。

・契約書を取り交わさずに仕事をやってしまった……
・仕様書の記述があいまいで玉虫色のためにお互いに誤解を招いた
・議事録を作成していなかったために顧客と水掛け論を繰り返した
・外部への注文書に記述漏れがあったためシステム開発の納期が遅れた
・マニュアルに記述ミスがあったため障害時のシステムの回復に失敗した
・とんでもない誤字があって、お客様に厳しいお目玉をくらった
・使い方が解りにくいとのクレームがヘルプデスクに殺到した
・エラーが起きたときどうすればよいのか説明書に書いてない
・書いて無くても、この仕様は常識である、と顧客にねじ込まれた
・メールでのやりとりが過激になり顧客関係が悪化した


【ITエンジニアには文章力が必要だ】
ITエンジニアの仕事は概念的には、顧客にソリューションを提供し、コンピュータ・システムを構築することだろうか。必要とされるスキルは、①ビジネススキル:情報収集・分析力・発想力、プレゼン力、文章力、②マネジメントスキル、③システム開発力、④業務知識、などであろう。

顧客との接点は文書であるから、②ビジネススキルのうち、ITエンジニアに高い文章力が要求されるのは必然だ。スムーズに業務を遂行するためにも重要なコミュニケーション・スキルのひとつである。

コンピュータ・システムを構築するときには、顧客との誤解をさけるためにも文書の形式を統一するとか、用語については両者であらかじめ合議する等の作業が必要かもしれない。チーム編成も、新しいメンバーの受け入れや外部委託を含めて流動的なので、メンバー間での意思疎通を円滑に行うためには正確な文書が欠かせない。ITエンジニアに高い文章力が必要とされる所以である。



BOOK 『知的生産の技術』 文章をかくのは情報伝達行動 
 1969(昭和44)年に出版された超ロングセラーである。しかし、さすがにハード面では違和感を感じるようになった。本文中で繰り返し言及される「カード」方式にしても、パソコン全盛の現代では、すでに陳腐化しているかもしれない。もっとも、ハードは日進月歩である。シート・フィルム状の液晶ディスプレイも既に試作に成功していると聞いている。近い将来には、完全に電子化された「京大型カード」の実現も夢ではないだろう。

一方、ソフト面の提言はちっとも古くはない。「情報」という切り口で、人間の知的活動をとらえている。情報というのは、知恵、思想、かんがえ、報道、叙述など、ひろく解釈していいという。知的生産というのは、頭をはたらかせて、あたらしいことがら――情報――を、ひとにわかるかたちで提出すること。文章をかくというのは、情報伝達行動である。文章の問題は、情報工学の問題としてかんがえたほうがいいのではないかと。

文章のわかりやすさに改めて感心した。例えば、自身の提案する文章法に「こざね法」というのがある。名刺サイズの小さな紙きれ(こざね)に、みじかい文章をどんどんかいてゆき、つながりのある紙きれをいっしょにならべ、端をかさねてホッチキスでとめる。こうして一つの思想/文章をまとめる方法である。これをこう説明する。

「こざね法というのは、いわば、頭のなかのうごきを、紙きれのかたちで、そとにとりだしたものだということができる。それはちょうど、ソロバンのようなものである。ソロバンによる計算法は、けっきょくは暗算なのだが、頭のなかのうごきを、頭のそとでシミュレートしてみせるのが、ソロバンの玉である。こざね法は思想のソロバン術で、一枚一枚のこざねは、ソロバン玉にあたる」
実にわかりやすい、具体的イメージがすぐ浮かんでくる文章ではないか。

◆『知的生産の技術』 梅棹忠夫*著、岩波新書、1969/7第1刷
  *国立民族学博物館長。西堀栄三郎の『南極越冬記』のゴースト・ライターだった。

(注) 梅棹忠夫は漢字・かなの表記について、「日本古来の和語はひら仮名とする」をルールとしている。本テキストでは、引用の文章は原文そのままとしているので、「書く」は「かく」と表す。




2.目的:仕事を動かすこと

(1) 情報が仕事を動かす

本書の基調テーマは「仕事を動かす」である。文書によって読み手を動かして、正しく間違いのない仕事をしてもらうこと。仕事を動かすときの、元となるもの(ドライブする力)は、「情報」である。

現代社会では情報という言葉は非常に広い意味を持っている。情報サービス産業とか、極秘情報とか、あるいは情報システムとか、様々な局面で使われている。

『広辞苑 』を引くと、情報については次のように記述されている。
    判断を下したり行動を起したりするために必要な知識

さらに実務的にとらえるならば次のように、「行動を変える力」、と考えられる。
                          (『かけひきの科学』唐津一著から)
情報:それが到着、あるいはそれを入手したとたん、環境を一変させる力をもつ
情報量:新しい情報を手に入れることによって、以後の行動がどれくらい変わるか
また、情報の価値は受信者によって判断される。

「行動を変える力」とは、まさに「仕事を動かす力」に他ならない。すなわち、情報が仕事を動かすのである。書き手が、伝えたい情報は、文書として表現され、読み手によって解釈されて行動へと展開する。そして、仕事へとつながる。

技術文書は情報を運ぶ媒体である。文書を読む人は、その情報を処理して仕事をする。仕事とは情報に基づいて行動し、ある機能を実現することである。技術文書を読んだ人は何らかの仕事(企業活動)をすることになる。技術文書とは、読み手に行動をうながすものである。何らのアクションも引き起こさないものは技術文書とは言えない。


(2) 情報とは事実と意見である

仕事の目的を達成するためには、読み手に正しく誤解の無いように行動してもらうことだ。意図通りに動いてもらわなければならない。交差点を左に曲がるのか右に曲がるのか、あるいは直進するのか、はっきり指示してくれないことには目的地に到着しない。

技術文書において、情報は事実と意見によって構成される。すなわち技術文書はある命題のもとに、事実と意見を選び抜いて、心情的要素を含まずに、それらをはっきりと区別して明快に記述したものである。


事実:真実の事柄。証拠を挙げて証明できるもの、客観的に確認できるもの。
データと言い換えることもできるだろう。器械によって取り扱うことができ、物差しをあてて値を測ることができるもの、カメラで写真に撮れるもの、などである。
新聞に載っている記事やインターネットのホームページに記載されている内容も事実の範疇である。
客観的な確認を可能とするために、情報源を明示することも必要だ。

意見:ある事柄についてのある人の考え。推論、判断、意見など。事実に対比する考え。
推論(ある前提にもとづく推理の結論)や、判断(ものごとの価値などを見きわめてまとめた考え)など。
読み手に対して具体的な行動をうながす場合には、それらの指示や命令は意見の範疇だろう。


事実
 客観的に確認できる
 データ
 新聞記事
 ホームページ 
  (例)
・富士山は日本で一番高い山です。
・Windows Vistaはマイクロソフトが開発したなかで最も規模の大きいOSである。
【これは事実(の記述)。ソースコードを見れば客観的に確認できる】
 
意見
 ある人の考え
 推論・予測
 判断・評価
 指示・命令
  (例)
・富士山は日本で一番美しい山です。
・Windows Vistaはマイクロソフトが開発したなかで最も優れたOSである。

【これは意見。個人の判断が入っている】 


事実はデータと言い換えることができる。これらのデータに意味づけを行ったものが情報である。ある事実(データ)に基づいて、読み手がどう行動するかを示すのが情報である。
情報は事実と意見から成り立ち、技術文書の中核となるものである。

情報をさらに体系化したものを知識と定義できる。たとえば教科書のようにまとめられたものが知識である。データを知識と照合しながら処理すれば、データは情報に変わる。これらデータ・情報・知識の関係は下表のようになる。

分類と定義  例1 交通信号  例2 健康診断 
事実
データ 
赤ランプの点灯  身長=176cm
体重=95㎏ 
情報 (事実+意見)
判断/行動するための材料
変化や兆候を示す 
止まれの指示  BMI=24を超過
健康に注意すること 
知識
情報を体系的にまとめたもの
教科書 
交通信号のルール  健康診断のルール
BMI=(体重)/(身長)2
正常値=20~24
 


(3) 技術文書の要件
情報を読み手に正しく伝えるためには、書き手が正確な技術知識を持っていることが第一の前提条件である。知識があるから技術文書が書けるのだ。野球を知らない人に、スコアブックを記入しろと言っても無理である。

仕事を動かすための技術文書は、十分な知識を前提条件として、正確性・十分性・伝達性の3つの条件を備えていなければならない。もちろん作文ルールを守ることも必要。

これらは技術文書の要件としてまとめられる。
・正確性:情報を正確に読み手に伝えること
・十分性:情報を過不足なく読み手に伝えること
・伝達性:読み手のレベルと文書の内容を合致させること
    ・作文ルールを守ること

これらの要件がひとつでも失われると、技術文書の本来の目的――読み手に正しい情報を伝えて行動をうながすこと――が阻害されることになる。例えば、作文ルールを破ることとは、誤字・脱字があるのに気づかなかったり、主語と述語の関係がはっきりしないままにした場合などである。


<技術文書の要件>
正確性  情報を正確に伝える
  ・正確に
  ・明快・具体的に
  ・数字で示す 
十分性  情報を過不足なく伝える
  ・過不足なく
  ・過少より過多を
  ・冗長性も考慮 
伝達性  読み手のレベルと文書の合致
  ・読み手とのレベル一致
  ・予備知識を与える
  ・読み手を想定する 
作文ルール  作文ルールを守ること
  ・作文ルールを理解する
  ・標準書式を守る
  ・誤字・脱字をなくす 




次の章へ / 前の章に戻る / Homeへ戻る