■ 『ドビュッシー ――想念のエクトプラズム』 オカルティズムの影がある(2012.4.3)


今年(2012)は、ドビュッシーの生誕150年とのことだ。このところ、ドビュッシーの名を一般的なものにしたのは、あのベストセラー(映画にもなった)『ダ・ヴィンチ・コード』に理由があるらしいが……。著者は第一線で活躍するピアニストだ。エッセイストとしても名が知られている。そして、ドビュッシー研究で学術博士号を取得した演奏/理論の両道に通じた俊英でもある



「ドビュッシーと言えば印象派」と直ちに反応するほどに中学校の音楽授業から繰り返し聞かされてきた。印象派という言葉がまとわりついてぬぐうことができない。著者はそんなドビュッシーの仮面を引きはがし、隠れていた素顔に新たな光をあてたいという。ドビュッシーの実像には、オカルティズムの影があるとも。

ドビュッシーはパリ近郊に貧しい瀬戸物商の息子として生まれる。音楽どころか小学校にすら通わせてもらえなかった。周囲の人々の好意によってピアノの指導をうけ10歳でパリ音楽院に入学する。当初ピアニストを目指し、神童と新聞に書きたてられたこともあった。
ドビュッシー=印象主義者のレッテルは、管弦楽のための《夜想曲》が全曲初演されるころには、すっかり定着してしまう。たしかに、色彩を音の響き、輪郭線を旋律、構図を構成、と置き換えれば、ドビュッシーの音楽を印象派の絵画と関連づけることは可能だ。

印象派の画家たちは明確な遠近法を嫌って画面を平面分割した。ドビュッシーは、形式からみると、第1主題と第2主題の明確な対比やその有機的な展開・再現を極力避けた。この点で印象派の画家たちと同じような革命を作曲技法上にもたらしたといえる。

しかし、技法上の類似と美学的な意味は違う。すくなくとも美学的にはドビュッシーは印象派の影響を何も受けていない。ドビュッシー自身の発言はこうだ。「私は、あのバカ者どもがよぶところの『印象主義』とはまったく別のもの――一種の現実といいいかえてもいいですが――をつくろうとしているのです。印象主義は、絵画の批評家たちによって、考えられるかぎりの間違った使われ方をしています。彼らは、数ある芸術のうちでももっとも美しい『神秘』の創造者であるターナーにまで、この定義をあてはめようとするのですから!」

ドビュッシーの世界は不思議な光に包まれている、と著者はいう。明るいのにほの暗く、もやもやしているのに透明で、柔らかいのに鋭く、優しいのに意地悪で、静かなのにはげしく、冷たいのに熱く、漂っているようなのに深い、ちょうど、霊媒の口から吐き出されるエクトプラズムのように――霊能物質とでも言えばいいのか。いつとも知れぬ間に闇から発生して一瞬の光彩を放ち、またひっそりと闇に戻っていく。彼はつねづね、「音楽は言葉が表現できなくなったところからはじまる」と語っていたのだ。


◆ 『ドビュッシー ――想念のエクトプラズム』 青柳いづみこ、2008/3 <原著:1997/3東京書籍刊>

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