■ 『グスタフ・マーラー』 愛と苦悩の回想 (2012.3.17)
マーラーの交響曲をすべてナマで聞こうと、ここ数年挑戦してきた。第8番《千人の交響曲》――大編成を要するが故になかなか実演に接する機会がなかった――を最後にようやく目標をクリアできた。こんな体験を重ねる中で、マーラー晩年のドキュメントとも言える、中公文庫の『グスタフ・マーラー』を久しぶりに読んだ。
著者のアルマ・マーラーは21歳でマーラーと結婚しその最後を看取った。31歳であった。寄り添ったのは1901年から1911年にわたる。マーラーがウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任しオペラ上演の改革に取り組んでいた時期から、その後ウィーンを離れニューヨークのメトロポリタン劇場へと招かれる。ついには持病の心臓病が悪化して死に至る。
マーラーの生涯を通じての作品にはどこか陰りを感じる。なかでも交響曲第6番とか《亡き子をしのぶ歌》は、あたかも自分の生涯を音楽のなかに予告しているようだ。後の悲劇――長女を突然失う悲しみ――が重なって聞こえる。
ウィーン国立歌劇場のレベルをマーラーはかつてないほどに引き上げた。ブルーノ・ワルターをドイツから連れてきたのもマーラーである。彼はワルターを高く評価し大きな期待を寄せていた。2人の友情は終生かわることがなかった。
オーケストラの指揮者としても、いささかの妥協もしなかった。ワグナーをやる時には必ずノーカットであり、聴衆に5時間も6時間も座っていることを強要した。また遅刻してくる客に対しても手厳しかった。遅参者専用のボックスを作って押し込め、いったん演奏が始まったら、絶対に場内に客を入れなかった。
マーラーがいつも自分の身近に置いて放さなかった聖なる作品は、《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《フィデリオ》《トリスタンとイゾルデ》である。
ベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》で最終幕の前奏としてレオノーレの大序曲(3番)を使ったのはマーラーである。1904年10月のことであった。音楽が暗い監獄に通じる道を暗闇から光へと導く。幕が上がると、まばゆい陽光のもとにバスティーユがそびえて立っている。その効果は筆舌に尽くし難い。マーラーの劇作の才を物語るひらめきである。以後この演出が各地の劇場で踏襲されている。
マーラーはいまわの際に、"モーツァルト"と二度言ったそうだ。微笑がもれ指で指揮をしていたという。
◆『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』 アルマ・マーラー/石井宏訳、中公文庫、昭和62(1987)/8
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