■ 『グーグル秘録』 ペイジランクは"群衆の叡智" (2022.5.16)
原著は2009年に刊行されたか。いま2022年に再読してみても、レッシングの言葉などなかなか興味深い。
既に2003年末には、グーグル・ロケットは順調に航行していた。
米国外でも検索市場でのシェアは6割に達し、売上は全社の3分の1を占めていた。
ヤフーとマイクロソフトが検索市場に参入してきたが、グーグルは両者をはるかに突き放していた。
すでに「検索する」という代わりに「ググる」(I'll Google it)という表現が普通に使われるようになっていたのだ。
グーグルは、1998年に、当時スタンフォードの大学院生であった、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンによって創設された。ペイジの検索エンジンに対する、大胆な着想を契機としている。すなわちペイジランクというアルゴリズムを考案したこと。特定のサイトにつながるリンクの数と、そのリンクを張っているサイトへのリンク数を把握する仕組みだ。
それまでの検索エンジンはキーワードのみに頼っていた。ペイジランクはリンクを分析してユーザーが最も頻繁に訪問するサイトを調べ、それを検索結果の上位にもってくるようにした。"群衆の叡智"こそ、どのウェブページが最も重要かを測る客観的な指標だと考えたのだ。検索キーワードに対して最適な回答を提示することが目標だった。必要なのは、超高速で検索を処理するコンピュータ能力と、インデックス化した数百万のホームページのデータを蓄積する巨大なサーバーだった。
1999年初頭のグーグルは、マイクロソフトを脅かすような企業になるとはとても思えなかった。すでにインデックス化を終えたのは、ウェブ全体のわずか10%程度に留まっていた。成長するためには検索エンジンを抜本的にレベルアップすることが必要だった。ウェブ全体をスクロール(巡回)するためには、とほうもないコンピュータの処理能力が要求された。
プロのCEOとしてエリック・シュミットがやってきて創業者を事業に集中させる。グーグルでは、検索連動型広告アドワーズの改良版の開発が進んでいた。クリック数に応じて広告主に課金する、という画期的なアイデアだった。この広告販売モデルによって、ネット業界においてグーグルは広告代理店をお払い箱にしただけでなく、コンテンツ企業の刻々営業部門も不要にした。ついに黒字の計上に至る。
ローレンス・レッシングの言葉をひろってみよう。インターネット界の賢人として尊敬を集め、2007年当時スタンフォード大学ロースクールで教えていた。
グーグルは1998年当時のマイクロソフトになりつつあるのだろうか?
「グーグルは遅かれ早かれ、かつてのマイクロソフトをしのぐ力を手に入れるだろう。 グーグルは驚異的なシステムを開発してデータを蓄積している。そのデータには独自の"ネットワーク効果"がある」。つまり、より多くの人がシステムを利用するほど、より多くのデータが集まり、ひいてはより多くの広告主が集まるというわけだ。
「すべてが検索という階層を起点に、積み重なっていく。我々は検索をするたびに、グーグルに何かを与えている。我々が検索結果を選ぶたびに、グーグルは何かを学習している。一つ一つの検索が、グーグルのデータベースの価値を高めているのだ。これほど豊かなデータベースの上に成り立つ広告モデルが負けるはずがない」という。
最後に、【解説】の成毛眞の言葉を引いてみよう。なかなか興味深い。
グーグルやアップル、マイクロソフトなどはアメリカでしか生まれようにない企業である。アメリカという国そのものが、ベンチャービジネスの巨大インキュベーターなのだ。
世界を標準で制覇するような企業が、アメリカでしか生まれようがないという理由が3つあるという。
第1の理由は創業者の激烈な性格。すこぶる高知能にして傲慢、激烈な功名心と徹底的な猜疑心。激烈度はアメリカ以外の先進国では正常と見なされないかもしれない。
第2の理由は恐るべき創業者の可能性に群がってくる無数の優秀な技術者と、勇気あるベンチャーキャピタルの存在。
第3に英語圏という圧倒的な市場経済力。英語を母国語または第二言語としている人口は最低でも8億人だと言われている。ひとつのサービルを開発するため8億ドルかけた場合、英語版であれば8億人いる潜在顧客1人あたりの開発費はたった1ドルだ。
◆ 『グーグル秘録』 ケン・オーレッタ/土方奈美訳、文春文庫、2013/9 (単行本 2010/5月刊)
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