■ 『イメージを読む』 美術史入門 (2012.5.31)
いま話題のFacebookとかには、「いいね!」ボタンというのがあるそうだ。「ちょっと変わってるね」とか感性をくすぐる画面に出会ったとき、このボタンを押すらしい。絵を鑑賞するのも感性優先だ。「絵を理解するのには、ただきれいだ、好きだ、でたくさん」。絵を見るのに、七面倒くさい理屈はいらないはずと思っていた。しかし、この本を読んで、ヨーロッパの絵画、それも18〜19世紀以前のものには、一定の表現のルールがあること。画家はこのルールに従って、明確な意志表現――思想とも言っていいもの――を実現していることを知らされた。
著者は、芸術を理解するには、その芸術が生み出された思想や時代を理解しなければならない、と言う。芸術は感覚で作られ、感覚で理解される感性の文化だというのは、誤解なのだと。偉大な芸術に接したとき、われわれは圧倒され戦慄さえおぼえる。しかし、その理由を知るには知性を働かせなければならないのだ。本書には、<美術史入門>の副題が附されている。美術史とは、人類が創造してきた芸術の歴史を研究する学問だ。絵画・彫刻・建築・工芸、さらにそれらの芸術作品が置かれたり、使われている場所、たとえば室内・教会・広場・都市・庭園なども研究の領域。究極の研究対象はイメージである。イメージとは、目に見えるものということ。
美術は、目に見えない感情や思想を、目に見えるかたちで表現する行為である。言語を解釈するのとはちがって、イメージを解釈するには、特別な方法が必要になってくる。色や形、大きさやひろがり、それらの組み合わせを研究して、それが表現し伝えている意味を探り、人類の文化の歴史のなかに位置づけ、自分たちの文化にとり意味あるものとして価値づけることが求められる。
イメージをどう解釈するかについて、19世紀後半から20世紀のはじめにかけて、様々な方法論が提示されている。ひとつは様式論。すべての画家は個人的な様式を持っている。同時に、その時代、12世紀なのか20世紀なのか、そういう時代の特徴を否応なくもち、また西洋人なのか日本人なのかという、ある民族や文化の長い底深い伝統からくる特徴をもっている。したがって様式とは個人的なものであると同時に社会的なものであり、また歴史的なものだ。たとえば、ルネサンスは平面的でバロックは奥行き的とか。古典様式は明晰でバロックは不明瞭などといった類だ。やや単純化しすぎた分類ではあるが、実際に、ラッファエッロの絵は明晰で優美でわかりやすく、秩序があるという点では説得性がある。
図像解釈学(イコノロジー)と呼ばれる方法論がある。芸術作品が創造された理由や意味を探り、その作品がどういう意味をもって伝承されたかをたどり、人類の総合的な歴史のなかに芸術の歴史を関連づける方法。当時の時代精神とか、パトロンとか、宗教的思想とか、流行していた文学や風俗、戦争や疫病などの歴史的大事件など、あらゆるものから解明を試みる。
図像学(イコノグラフィー)とは、表現されている個々の図像の主題と意味を解明する方法です。代表的なものがキリスト教図像学で、描かれている男や女の姿をそれぞれマリアや聖人や聖書の中の人物や、聖職者などであると特定する方法だ。13世紀から14世紀の中部イタリアの絵では、キリストは天国へ行く善人への祝福を示すために右手を高くし、地獄へ落ちる罪人への刑罰を示すために左手を低くして、祝福と刑罰の意志をかなりはっきり区別しているようになります。
ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画を見てみよう。この芸術のなかには、キリスト教がかかえている長大な時間や思想がつまっている。キリスト教の文明に生きていない者には、多くの予備知識が必要である。だからこそ、異文化を理解するもっともわかりやすい入口は美術だと、著者は言う。《モナ・リザ》はどう見えるか。彼女は妊娠しているのかな。身につけているのは喪服のようだ。おなかが大きく、しかも喪服。生と死を同時にはらむ女という、レオナルドのいつもの考えにぴったりだと。
◆ 『イメージを読む――美術史入門』 若桑みどり、ちくま学芸文庫、2005/4
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