■ 『ヨーロッパ退屈日記』 伊丹十三のけた外れの蘊蓄 (2005.4.3)
はき慣れた靴がすり減ったからといって、ロンドンからヴェニスまでヨーロッパを縦断し靴を買いに行くのだ。好きな靴は、薄いスウェイドで作った、ごく軽い運動靴風のもの。その呼び名は「ドッグ・シューズ」がふさわしいとも。この靴はヴェニスの「ポッリ」という店でしか売っていない。「ドッグ・シューズ」無しでは、「服飾プラン」が完結しないのだという。
パリへ着けば、シャンゼリゼの男物の店で、ドライヴ用の手袋を買うことになっている。絶妙の手袋があるという。北イタリー横断中、見るべきものは数多くある――ミラノのブレラ美術館、パドヴァのジオット等々。ヴェニスはもう町全体。それに買物は、グッチのハンド・バッグ、ポッリのドッグ・シューズだ。
蘊蓄のスケールがけた外れではないか。山口瞳の言によれば、伊丹十三は、マニアワセ、似せもの、月並みに彼は耐えられないのだという。映画について、スポーツ・カーについて、服装・料理・音楽・絵画・語学について彼が語るとき、それがいかに本格的で個性的なものであるかがよくわかると。本書の初版は昭和40年(1965)、もう40年前だ。いまのブランド絶対信仰の時代を、あの世から伊丹十三はどう見ているのだろう。
ヨーロッパ諸国と日本では風俗習慣はもとより「常識」そのものにさまざまな食い違いがある。これをできるだけ事実に即して書きたかった、と著者あとがきにある。
例えば、スパゲッティの正しい食べ方について。右手に持ったフォークで、くるくると巻いて食べるのが正しいのですが、だれでもこのことを知っている割に、これが完全にできる人が意外に少ない。簡単な練習を、短時間に行うことによって、困難がすっかり除かれるという。
第一のコツはこうだ。スパゲッティとソースを混ぜあわせたらフォークでスパゲッティの一部分を押しのけて、皿の一隅に、タバコの箱くらいの小さなスペースを作り、これをスパゲッティを巻く専用の場所に指定する。
日本人の不得意な「アール」の発音については、特効薬があるという。かなり、英国人を納得さすに足るレベルになると。「アール」の前に、架空の、発音されない、小さな「w」を想像するのである。そうして、あたかも「w」を発音する如く唇をすぼめて突き出す。しかる後に「アール」を発音するのである。「w」は絶対に発音してはいけない。ただ口をすぼめるだけでよいのである。
◆ 『ヨーロッパ退屈日記』 伊丹十三著、新潮文庫、2005/3刊
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