■『海図の世界史』 歴史を変えたのは海図だった (2012.10.19)
古代から近代への海上交通の進展は、ハードウェア(船の構造)の進歩と相まって、ソフトウエア(操船術とか海図など)に支えられていたことは、間違いない。そして、現代はGPSや気象衛星などのハイテク・システム技術が核心となっている。海図からは潮の香りを連想するのだが、国富の拡大・産業の革新などに、海図が戦略兵器として、大きな役割を果たしたことを本書は教えてくれる。
2世紀エジプトの地理学者プトレマイオスは初の世界図を完成させた。天文学・地理学とアレクサンドリアに集積されていた海図・地図を結びつけ、等間隔の緯線と経線により西のモロッコから東の中国にいたる広大な領域を俯瞰的に描き出した。この世界図は16世紀に至るまで標準的世界図として強い影響力をもったという。
中国元代の商人はジャンク船を操りインド洋まで進出した。明の永楽帝が鄭和に行わせた、アフリカ東岸にまで達する大航海は7度に及んだ。用いられた海図は、羅針盤による中国の伝統的な航法に従う海域と、イスラーム世界の天体航法に即した海域が、うまくつなぎ合わされていたそうだ。
ルネサンス期のヨーロッパには、中国から羅針盤が、イスラームからは星の高度の測定技術がもたらされた。イタリアのカルダーノがジンバル・リングを発明してから、羅針盤による航行法は急速に進化する。陸上の景観に頼る沿岸航法から方位による沖合航法に変わり長距離の航海が可能になったのだ。イスラームで発明された三角帆により、逆風でもジグザグに風上へと航行できるようになった。さらに活版印刷術による地図の印刷は、航海技術の革新を一段と進めた。
1420年代から1620年代まで200年の大航海時代には、海図と航海が世界を大規模な変革に導いた。喜望峰の発見はヨーロッパ人の世界観をひっくりかえした。ガマは、喜望峰を回りインド航路を発見する。ポルトガルのエンリケ航海王子は厳重な管理体制で海図の流出を防ぐことで海図大国となり、広大な海域を支配しようとした。
コロンブスの航海は曖昧な海図に基づく、目標物もない未知の大洋へ乗り出す不安に満ちたものだった。羅針盤と強い信念だけがたよりだった。マゼランは天体観測で緯度を測り等緯度航法により太平洋の航海を続けた。ようやくセビーリャに戻ったのは3年後である。この帰還で地球が球体であることが実証された。
印刷海図の普及とともに17世紀には海図の公開が進められた。航路が地球規模に拡大すると、地球を平面化して地図化するための工夫が必要になる。メルカトル図法が登場し世界図と海図が統合された。アブラハム・オルテリウスは近代的な地図帳の製作者として知られる。様々な地図を寄せ集め世界を再構成する手法をとった。この『世界の舞台』は大航海時代の諸情報を集大成した世界図であり、南・北アメリカがはっきり位置づけられている。
産業革命を経て18世紀末には、ほとんどの国が海図を公開して共有するようになった。第二次世界大戦後には世界規模での海図の共有が一掃顕著になる。海の覇権を握ったアメリカはハイテクを導入して航海技術を根底から革新した。GPS衛星を打ち上げ、地球上のどの地域、海域でも衛星の電波を傍受できる体制を整えた。今日では船舶が位置する正確な緯度、経度が瞬時に測定できるようになったのだ。
◆ 『海図の世界史]』 宮崎正勝、新潮選書、2012/9
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