■ 『日本を滅ぼす経済学の錯覚』 堂免信義著 (2005.10.20)




いつもの習慣で「あとがき」をまず読む。ここには著者の思いが直截に書いてあるはずだ。しかし、本書には思いもかけないメッセージがあった。著者は「美しく豊かで安全な日本をつくる」ことが願いだという。そのために、まずは経済を自分の頭で考えることが必要だと。それにしても、著者は生粋のエンジニアである、経済学へどのようにアプローチするのか興味深い。





第一に、「貯蓄は善」とする常識への疑問からスタートする。「経済にとって貯蓄は危険なのではないか」というテーマだ。社会全体の貯蓄は不変であるから、ひとりの貯蓄は他人の収入を減らす、そして、借金は他人の収入を増やすことになる。だから、借金は経済を成長させる。貯蓄は経済成長を阻害することになるという。明快な主張だ。

さらに、「貯蓄→投資」(貯蓄が投資に向かう)という錯覚があるという。逆に投資を起点とすること。投資活動により貯蓄が自然に増えるだから、本来「投資→貯蓄」と考えなければいけない。貯蓄そのものが投資であり、貯蓄と投資は別のものではない。最初に「貯蓄ありき」ではない、と断じる。投資の結果が貯蓄になる。これは人間の行動に基づいたもので自然発生ではない。

ここから導かれる著者の結論は、平成不況の原因は貯蓄過剰、ということである。そして、日本が抱える財政赤字の大問題、目前に迫っている国家破産の危機。これに対する著者の処方箋は……。

著者の主張のバックグランドには、経済世界が、あたかもデジタル・コンピュータのように、整然と機能するという前提条件があるように思える。投資が――経済が人間活動であるがゆえに、特に短期的な視点からは――途中で脇道にそれて埋没したり、時間がとんでもなく掛かってしまったり、意図的にひどく歪曲されたりとか、きちんとした生産活動に結びつかないといったケースが多いのではないか。このような現実世界の阻害要因は個々それぞれにメカニズムがあるということか。

著者の壮大な意図――経済学の基本的な過ちを提起したい――にもかかわらず、本書は「美しい日本をつくろう」という「警世の書」となっている。


◆『日本を滅ぼす経済学の錯覚』 堂免信義著、光文社、2005/9

◆ 堂免信義のホームページ → こちら


読書ノートIndex2 / カテゴリIndex / Home