■ 『明治の音』 ミシンがカチカチいっていた (2005.7.16)



朝のJR戸塚駅。発着案内のアナウンスがけたたましい。2つのプラットフォームで、上り方向が2本、下り方向2本、都合4本の電車が通る。これらに対して、それぞれ独立に4系統のスピーカが設置されているようだ。朝の過密ダイヤのときには、上下4本の電車の人工合成音のアナウンスが、それぞれ我がちに吠えるのである。それもチャイムに先導されて。鳴り響く4つのアナウンスから自分の電車を誰が聞き分けられるのか。


本来日本人――あの「鹿威し」を創った――は音に対して、繊細な感覚を持っていたはずだ。 一瞬の静寂を破って竹の筒が石をたたく音。風鈴の涼やかな音。秋の虫の声。いずれも繊細の極ではないか。


本書は、幕末の開国以降、第二次世界大戦前までに日本を訪れた西洋人が、この地でどのような音に惹かれ、それをどのように聴き取ったかを考える試みとのこと。著者は言う。音は、見ることよりもはるかに文化的保守性が強い。好悪がはっきりと現れるという。異国の未知の音に対する反応や解釈は、自己がこれまで慣れてきた文化的基盤に頼るしかないのだからと。

幕末の音風景。例えばアンベール (幕末のスイスの特命全権公使) は凧揚げの音に耳をそばだてる。この不思議な音楽は、アイオロス琴 (ギリシアの楽器) に似ているという。紙でつくった凧による演奏会なのだと。凧揚げは、音の愉しみでもあることを意識させる。イギリスの女性旅行家イザベラ・バードは1878年に初めて日本の地を訪れるが、バードの音に対する許容力は小さく、拒否反応も強い。日本の音楽は神経を苛立たせる以外の何物でもなかった。

アメリカの動物学者エドワード・モース (大森貝塚の発見で有名) の場合、音は「好奇心を掻き立てる」ものであったという。当時の街中は豊かな音の風景に満ちていた。さまざまな日常の中の音、カラコロと「不思議に響き渡る」下駄の音。駅馬車が集落を通過するとき、御者が「調子高く吹き鳴らす」ラッパ。学校での朗読、窓ガラス破片を吊した、風が吹くと接触して気持ちのよい音を立てる即製の楽器――風鈴だ。

モースは来日早々「不思議な有様の」東京を歩きながら、「アメリカ製のミシンがカチカチいっているのを聞く」。モースは、このミシンの音に、保守主義に囚われない、「新しい考案を素速く採用する」日本人を早くも感じ取った。著者はシンボリックな読み取りであるという。当時は依然として街中は声の支配する空間であったかもしれない。しかしその主導権はまもなく機械の音に交代していくと。

音を聴くことことが、日本の認識や相互理解の点からどのような意味を持っているのか、その聴き取り方は西洋のどのような文化的背景の上に成立していたのか。著者は、音を手掛かりに、文化を対比的にたどったという。モースは音の変化からすでに近代日本の荒々しい足音――現代の駅のアナウンスにも直結している――を聞き取っているではないか。試みは成功している。

◆『明治の音 西洋人が聴いた近代日本』 内藤高著、中公新書、2005/3


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