■ 『ものづくり経営学』 日本は大丈夫か (2007.03.27)
「情報価値説」が通奏低音のように本書に一貫して流れるテーマだ。世の中のあらゆる製品を「設計情報がメディア(情報を担う媒体)の上に乗ったもの」と見なすのである。すると、製品開発とは設計情報の創造であり、生産とは設計情報を工程から製品へ、繰り返して転写していくことになる。設計情報の創造の仕方、素材(媒体)への転写の仕方が、「ものづくり」の基本課題としてくくり出される。
「製品アーキテクチャ」という概念が、設計情報を論じる時に重要である。製品設計の基本思想のことであり、2つに分けられるだろう。ひとつは@「擦り合わせ(インテグラル)型」。部品設計を相互調整して、製品ごとに最適設計しないと製品全体の性能が出ないタイプ。自動車が代表選手だ。次はA「組み合わせ(モジュラー)型」。部品(モジュール)の接合部(インターフェース)が標準化していて、これを寄せ集めれば多様な製品ができるタイプ。CPUやHDD(ハードディスク)等の標準部品を組み合わせるパソコンが代表だ。
日本が得意なのは、「擦り合わせ能力」が競争力に直結する製品である。トヨタ自動車の世界市場への躍進ぶりを見れば文句なく納得する。
一方、DVDに見られる日本家電業界のモジュラー型への対応はどうだろう。DVDに代表される光ディスク・ドライブは、技術的には日本のオハコであった。しかし、海外への生産拠点進出にもかかわらず、グローバルな競争力を失っているのではないか。製品のアーキテクチャも、組織のものづくり能力も、急速に変化したからだ。
かつてのVTRに代表されるアナログ型のエレクトロニクスは、部品と機能が強い相互依存性を持って構成されていた。自動車と同じく「擦り合わせ型」の製品アーキテクチャだ。たとえ基幹部品が流通したとしても、これらを組み合わせて製品の機能や品質を復元するのは困難である。製品を試作できても、品質・歩留まり・コストを満足させる量産はできないだろう。初期のVTRは、こうした時代の製品であり、日本企業に巨額の利益をもたらした。
1990年代の半導体の技術革新は、MCU(マイクロ・コントロール・ユニット)とファームウェアの機能・性能を飛躍的に向上させた。当時開発されたDVDプレイヤーは、1970年代のVTRと大きく異なり、基幹部品は、全てMCUとファームウェアの作用によって連携されている。基幹部品を購入するだけで、誰でも設計・組立できるようになった。それまで巨額な投資を続けて製品開発を主導した日本企業は、価格競争に耐え切れず、市場シェアを急速に失ったという構図だ。
MCUとファームウェアの機能・性能は、今後も飛躍的な発展を続けるだろう。「擦り合わせ型の製品なら日本企業が常に安定的に強い」というような単純な図式はもう通用しないのではないか。さらに、最近の新聞報道――事故頻発・欠陥製品・品質問題――などを見ると、「ものづくり王国・日本」は大丈夫なのか、と心配になる。
品質欠陥は重大問題であるが、それに立ち向かう問題発見と解決能力は日本企業では崩壊していないと著者は言う。日々の能力構築が「擦り合わせ立国」の大前提である。競争の厳しい産業では、商品を開発・生産・販売する現場が、生き残りを賭して組織能力を練磨し、生産性を高め、品質を高め、スピードを高めるために、日々努力を重ねている――「能力構築競争」だ。「現場の能力構築なくして産業なし」であると。
著者は、現場の能力構築を起点にする経営戦略――「体育会系の戦略」と呼ぶ――を持てと主張する。日本の生産・開発現場が練成してきた「統合型の現場能力」を維持することだ。能力構築には、すくなくとも10年かかる。しかし、能力の崩壊はたったの一瞬なのだから。
体育系戦略は「まず現場を見せてください」ということから始まる。利益改善に基づく合理的な戦略論とは対照的だ。欧米型・中国型の「頭を使う戦略」「弱いものに楽に勝つ兵法」に学びながら、いわば宮本武蔵流の「体を鍛える戦略」「強いものに辛くも勝つ戦略」をミックスして、バランスを取ることだという。
◆『ものづくり経営学 製造業を超える生産思想』 藤本隆宏、光文社新書、2007/3
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