■ 『日本語教室』 母語より大きい外国語は覚えられない (2011.4.22)


むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」とは、井上ひさしの言葉だ。
文章に関わるものにはまさに至言だと思う。
言葉/日本語への、井上ひさしの関心の広さと、目配りの効いた勉強ぶり。そして、そこから生まれる日本語への見識の深さには常々感心していた。
例えば、いまや名著と言われる、木下是雄の『理科系の作文技術』に対して、もっとも縁がないと思われる文化系の作家なのに、賛辞を呈したのは井上ひさしが最初ではなかったか。



本書は2001年の上智大学での4回の講義をまとめたものだが、「いい年配の日本人の日本語、特に政治家・官僚などの言葉が、非常に貧弱である」という井上ひさしの日頃の思いが講義のきっかけになったようだ。

母語と脳は強く関係するという。人間の脳は生まれてから3年ぐらいの間にどんどん発達する。急速に脳が成長するとき、赤ん坊がお母さんから聞く言葉が母語である。赤ん坊のまっさらな脳が、お母さんの発するすべての言葉を受け入れるのだ。日本に生まれても、まだ脳が発達する前にアメリカ人に育てられれば、アメリカ英語がその子の母語になるだろう。

言葉は脳がどんどん生育していくときに身につく。だから母語は精神そのものになる。母語=第一言語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくことになる。だから母語の範囲内でしか別の言葉は習得できないのだ。言いかえれば、母語より大きい外国語は覚えられないということ。英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きい母語が必要。日本語をしっかり身につけることだ。

読みやすく、書きやすく、正確でしかも潤いがある、そういう日本語を見つけよう。そのための阻害のキーワードは「カタカナ倒れ」と「漢字倒れ」だという。程のいい漢字の量で、ひらがなとカタカナをきっちり使って、正確で奥行きの深い、文章を書いたり読んだりすること。

カタカナの弊害は、物事を単純化してしまう危険性だ。例えばリフォームという言葉。日本語には、再生とか、改良とか、改築・増築・改装など、たくさん言葉があり、それぞれが微妙に違う。リフォームは、その違いを全部無視してしまう。今まで言い分けてきた日本人の脳の働きや正確さとかを、リフォームの一言は簡単に単純化してしまう。

日本語でなくて外来語で考えているうちに、再生・改良・改築・増築というような違いが消えてしまうのだ。それに、わかっているつもりでも本当のところはわかっていない外来語を使って考えるのは危険なこと。結果として大きな誤差が生まれるだろう。ものをしっかり考えるためには、われわれが脳の一部として繰り込んできた母語を土台に考えるしかないのだ。

漢字について演劇作家としてのユニークな指摘がある。ほかにも興味深い話題が満載なのだが、あとは本書を読んでもらうしかない。


◆ 『日本語教室』 井上ひさし、新潮新書、2011/3

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