■ 『日本語の歴史』 鎌倉武士が日本語を変えた (2006.8.13)
日本語は論理的ではない、あいまいな言語である、という説がある。著者は真っ向から反論する。日本語は決して非論理的ではない、ただ論理的に話しを進める訓練がなされていないだけだと。日本語自身は、論理的な構成力を持つように変わって来ているのに、日本人は、まだ話しの場で、その遺産を十分に生かしていないのだと。
日本語が大きく変革したひとつの転換点が鎌倉・室町時代であるという。このときから、主語がどれであるか、目的語がどれであるかをきちんと明示する言語に変化した。接続詞も使い、文と文とをしっかりと論理的につないで文章を書いている。論述に耐える言語として成長したのだ。
「係り結び」を取り上げて、著者はそれを例証する。「係り結び」というのは、係り助詞――「ぞ」「なむ」「や」――があったら、終止形ではなく、連体形で結ぶこと。「こそ」が来たら、已然形で結ぶ形。卒業式で歌われる《あおげば尊》の「……今こそ別れめ、いざさらば」、が已然形の形だ。
この「係り結び」による強調表現は平安時代には愛用されたが、武士の時代にはやわらかさ故に避けられ、使われなくなった。また、係り助詞は、主語とか目的語という、文の構造上の役割を明確にしない文中で活躍できるものだ。しかし鎌倉時代には、主語を示す格助詞「が」が発達し、文の構造を格助詞で明示していく傾向が生まれた。係り助詞と格助詞は構造的に馴染まないものだ。
「係り結び」が消滅し、しっかりと格助詞で論理関係を明示するように変わったこと。さらに、「しかれども」「されば」などの接続詞によって、文と文の関係を明示するようになったこと。情緒的な文から、論理的な文へ変化した。日本語が論理的構造を備えるようになったのだ。
――私見を加えれば、「戦さ」という武士の活躍する世界で、文章が明確な意思伝達の道具として大きな役割を担うようになったということだろう。
◆ 『日本語の歴史』 山口仲美著、岩波新書、2006/5刊
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