■ 『二重らせん』 DNAの構造を発見した科学者の記録 (2004.2.22)



「われわれは、デオキシリボ核酸(DNA)の塩の構造を提案したいと思う。この構造は、生物学的にみてすこぶる興味をそそる斬新な特質をそなえている」。これは、ワトソンクリックが連名で『ネイチャア』誌(1953/4月号)に提出したわずか900語の論文の書き出しである。ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で、DNAの立体構造の解明に取り組んでいた2人は、DNAが逆方向に走る2本の分子鎖からなる二重らせん構造であることを発見した。

二重らせん構造によって、古くからの生物学上の謎――遺伝情報がいかに蓄えられ、いかに複製されるか――は見事に解明されたのである。アデニンとチミン、グアニンとシトシンというペアでペアで連結された2本のねじれ合った鎖、この塩基の配列がお互いに相補関係にあること。だから、1本の鎖の塩基の並び方が決まれば、その相手は自動的に決まってしまう。1本の鎖が、それと相補的な塩基配列をもつ鎖の合成鋳型になるのだ。

本書は、ワトソンが、1951年から1953年当時に関わった人々、フランシス・クリックのほかにモーリス・ウィルキンス、ロザリンド・フランクリン、ライナス・ポーリングに関係した事柄を描き出した、DNAの構造解明をめぐる熾烈な先陣争いだ。

ワトソンは、野心満々の若い生物学者だった。ナポリの学会で発表されたDNAのX線回折像が忘れられなかった。DNAの構造がわかれば、遺伝子の働きの理解も大きく前進する。遺伝子とは規則正しい構造をもち、正攻法で解決できるものだ。ワトソンはDNAの構造を第一番に発見しようと決心した。「ある考えを危険をおかして実行してみようともしない、鳴かず飛ばずの大学教授におさまることより、有名になった自分の姿を想像してみるほうが楽しいに決まっている」と。このとき、DNAの構造解析の有効な手段であるX線回折像の解読法について、まったく無知だったのだが。

フランシスは、他人の仕事の真の意味をつかみ、それを筋の通った形にまとめる力を持っていた。物理学を離れて、生物学に関心をもつようになったのは、有名な理論物理学者シュレジンガーが著した『生命とは何か』を読んだからだという。

DNAの構造解明では、ノーベル化学賞のポーリングが遂にDNA構造をつかんだという、ニュースもあった。結局、これはポーリングの大失敗であったのだが。ワトソン達に与えられた余裕はせいぜい6週間。とにかくノーベル賞は、まだポーリングの手に渡ってはいなかった。

ワトソンは、2本鎖で模型を組み立てて紙の環をグルグルと描いているうちに、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという単純な組み合わせでうまくいくことに気がついた。DNAは、A-TとG-Cというペアで連結された、2本の鎖からできているのだ。クリックは、逆方向に走る2本の分子鎖からなる二重らせん構造が導かれることにすぐ気づいた。発見当時、ワトソンは25歳、クリックは37歳であった。


◆ 『二重らせん ――DNAの構造を発見した科学者の記録――』 ジェームズ・D・ワトソン著、江上不二夫・中村圭子訳、タイム ライフ インターナショナル、昭和43(1968)年/9月、タイム ライフ ブックス

◆<講談社文庫> 『二重らせん』1986/3刊


読書ノートIndex1 / カテゴリIndex / Home