■ 『にんげんのおへそ』 高峰秀子のエッセイ (2004.9.5)

インターネットをチェックしていたら、東京国立近代美術館フィルムセンターで、「高峰秀子展」が開かれるとの記事があった。あの「二十四の瞳」(昭和29=1954年、初公開)を映画館でリアルタイムに見た世代には、忘れられない女優だ。かつて、東大の入試問題で、彼女のエッセイが取り上げられたはず。

「おへそ」と題するエッセイでは、撮影所に集う人々を取り上げている。木下恵介黒澤明のエピソードはもちろん楽しい。優れた監督には、抜きん出た才能と鋭い感性、勇気、自信、決断力と責任感。それより、なにより、大勢のスタッフを魅了、眩惑する「豊かな人間性」がなくてはならないと。

しかし、彼女の筆は撮影所のスタッフを描写するとき一段と冴える。「用心棒」で照明技師が、黒澤監督のライティングにヘソをまげて、家に帰ってしまったエピソードとか。その後のライバルのなりゆき、いつくしむような筆致である。「おへそ」とは人間の「矜持」と、とらえた方がよいようである。

彼女は、大正13=1924年の生まれとあるから、もう80歳ちかいはず。老いのテーマも必然的に増えてくる。人間の成功には「チャンスと努力とサム・マネー」とはチャップリンのことば。人生、店じまいの支度をするにもやはり「サム・マネー」が必要らしい。

家中に骨董とかがいろいろひしめいていたが、身辺整理にメドをつけ、老後の生き方について話し合う。「生活を簡略にして、年相応に謙虚に生きよう」。それが夫婦の結論だったそうだ。このときは、60歳かな。

そして、半分やけくそで前の家をブッ壊して、「終の住処」を、あり金をはたいて建てる。サム・マネーがあったらかこそ。そのマネーは、結婚以来三十余年、夫婦がわき目もふらずシコシコと働き続けて得たお宝だ。そのお宝のすべては「死ぬための生き方」のために費やされた。「なんのこっちゃい」と言いたくなるが、それが人生というものだろうと。


◆東京国立近代美術館フィルムセンター は→ こちら

◆『にんげんのおへそ』 高峰秀子著、文春文庫、2001/10刊


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