■ 『N響80年全記録』 NHK交響楽団は2006年に80周年を迎えた (2007.10.20)



このところN響を聞く機会は減っているのだが、N響が日本を代表する第一級のオーケストラであることは間違いないだろう。昨年2006年10月には80周年を迎えたとのことだ。

1926(大正15)年10月、近衛秀麿を中心に44名で新交響楽団(新響)が結成され、今日のNHK交響楽団の基礎が確立された。東京放送局(後の日本放送協会・NHK)がラジオ放送を開始したのは1925(大正14)年。新響の設立時から出演契約を結ぶなどバックアップしている。

巻末に、27ページにわたるNHK交響楽団80年年表が付いている。第1回研究発表会には近衛秀麿の指揮で、ベートーヴェンの交響曲第4番ほかを演奏したとある。第1回定期演奏会は、1927(昭和2)年2月にずれ込んだ。このときはシューベルトの交響曲第7番。

オーケストラとしての基本的なメカニズムを鍛え上げたのは、ローゼンストックである。ときは第2次世界大戦勃発前の動乱期。ベルリン国立歌劇場へ赴任間近直前であったローゼンストックが、ユダヤ人であるが故に、ナチスによって排斥されていたのを日本に招いたわけだ。

ローゼンストックの練習は厳しかったようだ。楽員は「練習は闘いだった」と回想している。「怒ったら手がつけられない。ヘタな音を出すと、指揮棒を天井までブン投げる。指揮台に叩きつけて折ってしまったこともある」と。

本書には創立以来のエピソードが満載だが、特に興味深いのが海外から続々と来日した、客演指揮者の獅子奮迅ぶりである。列挙してみると、クルト・ウェス、ジャン・マルティノン、カラヤン等々。イタリア歌劇の公演もある。N響は全公演のオーケストラ演奏を担当した。

そして、かつての小澤事件に象徴されるような、N響の硬直的な体質は払拭されたのだろうか。つい数年前にも、海外で活躍している新進指揮者の登場に、値踏みをするような冷たい視線を投げかけたとの噂がインターネットから漏れ聞こえてくる。

小澤征爾とのトラブルは、1962(昭和37)年のことである。東南アジアへN響と演奏旅行に出かけたが、この旅行中の些細な出来事がきっかけで、両者の亀裂が深まる。ついには、定期演奏会の中止、年末恒例の『第九』も取りやめとなった。

楽団員が言うように「若者の言葉に、いい歳をした大人がムカっ腹を立てた」のだろうか。ヨーロッパの伝統的な「音楽語法」を叩き込まれてきたN響にとって、バーンスタインの薫陶を受け、アメリカの語法を持ち込んだ小澤征爾の音楽には抵抗があったのか。小澤はこう言っている、「……自分の色だけが、ほんものだという空気が、たしかに、この楽団にはある。N響の場合、指揮者がずっとドイツ系ばかりであったことも、大きく影響しているのかも知れない」


◆『N響80年全記録』佐野之彦、文藝春秋、2007/9


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