■ 『音楽を「考える」』 作曲とは自分の内部を聴くこと (2009.2.23)



作曲家・江村哲二の《地平線のクオリア》。この曲の初演には臨席している。大野和士指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団。当夜のメインプロであったショスタコーヴィチの交響曲第4番の強烈なインパクトに印象が薄まってしまったようだ(すみだトリフォニーホール2006.1.6)。→ こちら
いま、この《地平線のクオリア》をライブレコーディングのCDによって聴き直すと。ハープと弦に導かれて、まさに幽玄な響きと静寂感に満たされるのがわかる。


作曲とは聴くということ。自分の内なるところから湧き上がる音の響きにじっと耳を澄ますこと。このことを教えてくれたのは武満徹の音楽であると江村は言う。この曲は、茂木健一郎の著作『脳とクオリア』に触発されたものらしい。脳内に存在する「仮想としての響き」が実は「クオリア」のことであると気づかされたという。クオリアとは、意識の中で感じるさまざまな「質感」のこと。例えば、赤いリンゴの赤いという感じを意味する。


本書は、脳科学者・茂木健一郎と作曲家・江村哲二の対談をまとめたものである。作曲家の疑問が初めにある。作曲=創造とは。この楽想、このアイデアは一体どこから来るのだろうという問いかけ。

江村はこう言っている。創造とは、自分自身が現実の世界に在るものを見たり聞いたりした経験の積み重ねが、脳内に長期記憶として蓄えられ、それが何らかの外部刺激によって想起され、複数が組み合わされて元のかたちが変貌して意識の中に創発されること。だから、作曲するということは、自分の内面を「聴く」ということにほかならないと。

茂木の言。創造という行為は、99パーセントが先人の業績や既存のテクノロジーを学ぶこと。インスピレーションはあとの1パーセントしか必要ない。それがオリジナリティとなる。オリジナリティの発揮には、いろんな曲を聴いて、作品に接すること以外にないのだろう。

人間では視覚的な注意が最も支配的である。何を見ているかによって、脳が活動するための資源のかなりの部分が使われる。だから、視覚では空間的な特定の方向に注意が向き、見える範囲の限度がはっきりしている。それに対して聴覚の特徴は、空間的な限定がないということ。視覚よりも聴覚のほうが全体性や多様性に強い結びつき、「耳を澄ます」ということの重要性を裏づけている。

人間とサルの脳を比較すると、視覚が占める部分の働きはほとんど同じで、聴覚野の違いが顕著だという。音声言語の発達と関係しているが、聴覚は、最も人間らしい脳の働きでもあるという。
聴覚は、頭のなかの想像力で補わなきゃいけないところがたくさん残された刺激。だから聴くことによって想像力を育まれると江村は言う。

残念なことに江村哲二さんは47歳で急逝された(2007.6.11)。

◆『音楽を「考える」』 茂木健一郎/江村哲二、ちくまプリマー新書、2007/5

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