■ 『ペンギン・ブックス』 文庫の帝王A・アレン (2012.8.14)





いま書店で一番広いスペースをとっているのが文庫。ちょっと古い本であるが、「文庫の帝王」とのサブ・タイトルの付いたのを手に取った。本書は、ペンギン・ブックスの生みの親、アレン・レインの伝記である。1902年に生まれ、1970年に亡くなった。ジョイスの「ユリシーズ」の単行本や、ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」のペイパーバック版の最初の発行者としても知られている。



ペンギン・ブックスが創刊されペーパーバックに参入したのは1935年である。ペイパーバックの歴史では、先輩格として、1867年に創刊されたドイツのレクラム文庫がある。岩波文庫がドイツのレクラム文庫をモデルとしたことは、つとに知られているが創刊は1927年である。岩波新書はペリカンを参考にしたと言われる。1938年の創刊。ペンギンは、短い歴史にもかかわらず、『タイムズ』やBBCとならび称せられるような存在へと成長していった。アレンは、書物をマス・メディアへと拡大成長させたのである。

ペンギン誕生のエピソードはこうだ。アレンがアガサ・クリスティ宅で週末を過ごし帰途についた。列車の長い待ち時間に、駅の本売場をあさったのだが、派手な表紙の雑誌と、ちゃちな小説が目につくばかりで、好みに合うものを手に取ることができなかった。ロンドンまでの長い本のない旅で、数年前から心の中でくすぶっていた着想をあれこれ考え直すことになったのである。

アレンの計画は、新シリーズとして、すぐれた小説とノン・フィクションの翻刻版を出すこと。ペイパーバックの体裁にして、信じられないぐらい安い価格とする、10本のたばこと同じ値段6ペンスにすること。大量生産と大量配布が計画の中枢をなしていた。ペイパーバックによる出版革命を目指したのだ。

最初の10冊のペンギンが姿を現すと、たちまち大成功を収める。表紙には、くちばしを上に向け、片方の目を大きく開けて面白そうに世の中を見ている―ペンギンが描かれていた。この小生意気なペンギンが、本を所有することが貴族や富裕な連中の特権ではない、ということを大衆に気づかせたのであった。

大衆にとって、書物とペンギンは同意語になった。多数の人びとが、ペンギンのおかげで、生まれてはじめて、読書から得られる楽しみと教養の味を知ったのである。作品の質の高さを保ち、簡素な装丁でしかも6ペンスという廉価によってペンギンが次々に誕生したことは、まさに旱天の慈雨であった。

『タイムズ』紙の論説委員は、アレン・レインはグーテンベルク以来の誰よりも出版界のために貢献したと評した。17年も経たぬうちにアレンは出版界の顔を変えてしまったのだ。ペンギンは最初の着想を広範囲に拡大したので、ほとんどあらゆる専門分野、あらゆる種類の娯楽、あらゆる方法の教養で、書物の形で読者に伝達しうるものはすべて網羅している。

アレンは、印刷された言葉がラジオやテレビの挑戦に抗しうる手段を、まさに適切な時期に生み出したのであった。ウィリアムズは、ペンギンが声価を高めたのは、大衆の趣味を創ったからであって、それにこびへつらったからではない、と指摘している。


◆『ペンギン・ブックス 文庫の帝王A・レイン』J・E・モーパーゴ著/行方昭夫訳、中公文庫、1989/4

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