■ 『スタインウェイができるまで』 あるピアノの伝記 (2010.1.23)


コンサート用グランドピアノD型――今日のスタインウェイの名声はこのピアノに由来する――が本書の主人公だ。伝記と言えるだろう。スタインウェイ社の創業からいかにD型は誕生したのか。そして今なお中核モデルとして製造されている。原材が工場に運び込まれてから、1台のD型コンサートグランドが完成するのに1年近くを要する。優雅な外観とは裏腹に、ピアノは複雑で繊細なメカニズムを内蔵している。弦の鳴り響く様子を音楽的なものにするためには、一つひとつの部品を時間をかけて調整しなければならないのだ。


興味深いピアノづくりの工程が、たずさわっているユニークな人間の名人芸とともに生き生きと描写されている。交互にスタインウェイ社自身の企業物語が織り込まれた構成である。ただピアノの全体像をちょっとイメージし難いのが残念。冒頭にピアノの全体図が載っているのだが、コンサート・グランドの内部構造――大屋根とか鋳鉄フレーム、響板などはどこを指すのか不鮮明だ。弦とかハンマー、アクションなど相互の動きを承知していないと、本文を読み進めるのがつらい。

カエデ板17枚を接着剤で貼り合わせた巨大な木のサンドイッチ。これを折り曲げてピアノの枠組みをつくるのが最初の工程だ。そこにラッカー塗装を施す。響板――これはピアノの鳴りを決定的に左右する部品、を取り付けるのは、工場で最もきつい仕事のひとつ。担当はユーゴスラヴィアからやってきた元交通巡査である。

ハンマーをとりつけるとか、アクションとキーの合体などの一通りの工程を経て、最後の整調工程に入る。整調師はロックバンドのTシャツを着た15年選手のヴェテランである。ピアノの性格を見きわめ、アクションを調整し、響きを膨らませてより大きく魅力的にする。耳障りな音や反応の鈍いキーを、耳と手で感じとり、アクションを軽くたたいたり、ひねったりして、できるだけ均一にそろえる。整調には20〜25時間かかるそうだ。

スタインウェイで日々続いているのは、かぎりなく特注製作に近い作業。ヤマハのような競合他社はスタインウェイが手動工具を使うところに積極的に機械を導入している。1週間の生産台数がスタインウェイの年間の生産規模にも等しいと言われている。

本書の主人公グランドピアノは、品質管理検査官の最終チェックを受けスタインウェイ社の地下室に運び込まれる。もう11カ月が過ぎている。主任コンサート調律師が、ハンマーを再調整し弦の間隔をとりなおし、ピアニストの気に入るように楽器を仕立てる。音質は均質で鮮明になる。ようやくこれで、貸し出し用コンサートピアノ部隊の仲間入りを果たしたわけだ。

スタインウェイ社の創業者はドイツ北西部の出身。すでにピアノ作りの腕は持っていた。彼が息子とともに、ニューヨークで事業を立ち上げたのは1853年である。当初は、ピアノ部品の製造に携わっていたが、本格的なピアノ製造で大きな成功を収める。1884年の建国百年記念グランドが現今のD型ピアノへと発展する。

アメリカにおけるピアノの製造は1905年に40万台でピークに達する。スタインウェイ社が最高の業績をあげたあと大きなピンチが来る。RCAがラジオを売り出したのだ。ラジオ放送は、お手軽な娯楽として家庭に浸透する。もはやピアノの存在感は薄れ、必需品ではなくなっていく。スタインウェイ社は小型で値段の安いS型ピアノを売り出しなんとか持ち直す。第二次世界大戦では得意の木工技術を生かしてグライダー製作に協力したとのことだ。

◆小さなミスがちょっと気になる
・(226ページ)には、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの登場し、1776年に発言したとの記述があるが、合点がいかない。バッハは既に1750年には死んでいるはずである。
・(232ページ)には、D型にハンマーを取り付けるのが、2003年10月3日月曜日とある。
さらに(242ページ)には、アクションを選んでキーと合体させるのが、これも2003年10月3日金曜日とある。同じ日の作業なのだろか、曜日の確認ミスか。
・奥付に原書のタイトルが記されているが、スペルのミスがある。"COMCERT"は"CONCERT"が正しいでしょう。


◆『スタインウェイができるまで あるピアノの伝記』 ジェイムズ・パロン著・忠平美幸訳、青土社、2009/2

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