■ 『プロになるための作文術』 悪文から逃れる技法 推敲を繰り返すこと (2006.12.30)

文章術と聞くと目を着けずにはいられない。著者は米国のプロ編集者である。本文に引用されている英語の例文(量的にはかなりある)はすっ飛ばして読み切った。

実践的な文章読本である。悪文から逃れる技法をまとめている。優れた文章を約束する規則はどこにもない。しかし、悪文を避ける技法はある。本書の目的は、何が悪文かを知って回避する要領を開陳することだと。ジャンルを問わず、あらゆる方面に通用する文章作法を説くことを意図しているという。

著者は、どんな原稿も冒頭の何ページかを読めば、作品の出来はあらかた見当がつくという。超一流の演奏家は、わずか5秒で同業者の腕前を見定めるというわけだ。すべての書き手が同じような間違いを犯している。文章がいいとなって、はじめて概要に目を向けるのである。文章が読むに堪えなければ、原稿は相手にされない。

悪文とは、著者によれば、構成に難のあるもの、表現が曖昧なもの、代名詞を多用しているもの、長すぎる文章、等々。悪文がわかりにくい理由は、いろいろに読めて、どれもそれなりに意味が通じてしまうことである。曖昧な表現は文章を殺すばかりか、人の命を奪うこともある。わかりにくい道路標識は死亡事故の原因になるだろう。

人名や代名詞(彼とか彼女)の頻用が煩わしいのは悪文の典型だ。不必要に回りくどいもの、一つことを言うのに、あえてこれ以上はない迂路を探っているとしか思えないのも悪文だ。長すぎる文章は適宜、句読点をほどこして節を分ける必要がある。

文章修行とは、自身をおいてほかに師匠はいないのである。著者は、「偉大な作家などいない。いるのはただ推敲に長けた文章家ばかりである」と言う。文章の90パーセントまでは推敲にかかっているのだと。文章を練り直す推敲の作業は編集技術に負うところが大きい。従って、感性から湧いて出る発想はさておき、文章技巧は学んで修練すればかなりのところまで上達する。

生きのいい文章は簡潔である。込み入ったことを端的にすっきり表現するのはむずかしい。原稿を読み返し文章を刈り込むこと。形容詞や副詞の数を減らすだけで文章は見違えるようによくなるはずである。そもそも修飾語など必要としないだけ迫力のある的確な名詞・動詞を使いたい。

言葉に精通しろという。文章とは言葉の積み重ねである。言葉は物書きの道具。言葉に精通していない物書きは道具箱に利器を持たない職人だ。


◆ 『プロになるための文章術 ――なぜ没なのか』 ノア・リュークマン著・池央耿訳、河出書房新社、2001/6刊


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