■ 『生物多様性を考える』 ダマシダマシやるほかない (2013.1.2)





生物多様性(Biodiversity)という言葉はアメリカの生態学者ウォルター・ローゼンの造語だという。人間生活による生態系の改変や希少種の絶滅を阻止するために政治を動かすためのスローガンとして考えたものだと。

生物多様性の問題とは保全のことである。多くの人が守りたいのは自分にとって都合の良い生物多様性で、都合の悪い有害な生物多様性はいらない。クマを守りたいと思う人々がいるのはクマが目立つ大きな動物だからである。バクテリアや肉眼で見えない微小な生物はたとえ絶滅に瀕していると分かったとしても、それを守るために努力をする人はほとんどいない。どの種を優先的に守るべきかには人々の好みが反映される。種多様性の何を保全すべきかという議論で最も大切なのは、メリットとデメリットを勘案したバランスである。

よく、里山の荒廃は豊かな生物多様性を子孫のために残すという精神が失われたことの現れであるという議論がある。これは、矛盾に満ちた精神論であると著者は言う。里山の荒廃は石炭・石油による燃料革命によって薪炭林としての雑木林の役割が消失したのが原因である。精神論とは無関係なのだ。里山は長期にわたり人為により本来の植生である照葉樹林への遷移を妨げられた生態系である。ここに適応した生物種は、里山が消失すると絶滅する恐れが強く、だから里山の荒廃は生物の種多様性の減少をもたらす可能性が高いということなのだ。

生物多様性の保全に唯一絶対の解はない、ケースバイケースでアド・ホック(その場限りでの)に対処するしかない。万物が流転する自然界でユニークさをすべて守るわけにはいかない。個体の遺伝子組成はユニークであるが個体が死ねば失われる。しかし個体が死んでも個体群は存続する。しかし種が消滅すると、種の遺伝子組成のユニークさばかりでなく、種そのものも消えてしまう。

何のために生物多様性を守るかという視点が重要だ。究極の目的は人類の福祉を向上させるためだろう。自然には自然の理屈があって、人間のコントロールが及ばないことの方が多い。無理にコントロールしようとしても、コストばかりかかってロクなことにはならない。生物多様性の保全も人生と同じようにダマシダマシやるほかはないのだ。


◆ 『生物多様性を考える』 池田清彦、中公選書、2012/3

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