■ 『生物と無生物のあいだ』 ダーウィンを超える新説か? (2007.9.22)
生命とは自己複製を行うシステムである。これは今日現在の普遍的な定義だろうか。1953年にワトソンとクリックは、DNAが二重ラセン構造であることを発見した。DNAは互いに他を写した対構造であり、この相補性はDNAが自ら全体を複製する機構を備えていることを示している。DNAが1組あれば、生命は子孫を残すことができるのだから。
生命を定義するもうひとつの基準として、著者は「動的平衡」を挙げている。生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に唱えたのは、ルドルフ・シェーンハイマーだそうだ。この「動的平衡」論をもとに、著者は生物を無生物から区別するものは何かを、まったく新しい視点から考察している。
「動的平衡」とは、ちょっと耳なれない言葉である。しかし本書を読み進むほどに新鮮なアイデアが伝わってくる。相補性の関わりとか、折り紙にたとえた説明など、実に説得力がある。ダーウィンを越える新説ではないか?
まず、シェーンハイマーの実験はこうである。ネズミに、重窒素を標識をつけた追跡子として与え、どこにとどまるかを生物実験で調べた。その結果、ほとんどのアミノ酸はネズミの体内にとどまり、与えた重窒素のうち半分以上の56.5%が身体を構成するタンパク質の中に取り込まれていたのだ。取り込み場所は身体のあらゆる部位に分散されていることが分かった。
重窒素アミノ酸を与えると瞬く間にそれを含むタンパク質がネズミのあらゆる組織に現れるということは、とてつもない速度で、多数のアミノ酸が一から紡ぎあわされて新たにタンパク質が組み上げられるということ。ネズミの体重が増加していないということは、新たに作り出されたタンパク質と同じ量のタンパク質が、速い速度でアミノ酸に分解され、体外に捨て去られていることを意味する。
肉体というものについて、私たちは感覚的に、外界と隔てられた物としての実体があると感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく当てはまらない。生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この生命の状態という概念をさらに拡張して、著者は「動的平衡」という言葉を導入したのだ。
なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持できるのか。答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にあるという。生命は、その内部に張り巡らされた、かたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保っているのである。
さまざまな分子、すなわち生命現象をつかさどるミクロなジグソーピースは、ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らって作り出される。そこでは新たに作り出されたピースと、それまでに作り出されていたピースとの間に、形の相補性に基づいた相互作用が生まれる。その相互作用は常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げ、動的な平衡状態を導き出す。一定の動的平衡状態が完成すると、そのことがシグナルとなって次の動的平衡状態へのステージが開始される。
時間軸のある一点で、作り出されるはずのピースが作り出されず、形の相補性が成立しなければ、折り紙はそこで折りたたまれるのを避け、すこしだけずらした線で折り目をつけて次の形を求めていく。そしてできたものは予定とは異なるものの、全体としてバランスを保った平衡状態をもたらす。欠落に対してバックアップやバイパスが可能な場合、動的平衡系は何とか埋め合わせをしてシステムを最適化する。
生命という「動的な平衡」は、いずれの瞬間でもバランスをとりつつ、時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。決して逆戻りのできない営みであると同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
◆ 『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一著、講談社現代新書、2007/5月
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