■ 『世界の不思議な音』  奇妙な音の謎   (2016.10.21)





著者はマンチェスターの大学に勤務している室内音響学の専門家。物理学者であり音響エンジニアでもある。近年は教室の音響が劣悪で騒音がひどいと学習にどんな影響が生じるかを調べているそうだ。雑音の除去に力を入れるあまり、音そのものに耳を傾けるのを忘れていたという。そんな思い入れから本書は生まれたらしい。

私たちはもっぱら視覚に支配されているせいで、それ以外のすべての感覚――とりわけ聴覚――がにぶくなってしまった。奇怪な場所や美しい場所の画像などへのこだわりに比べて、驚異的な音の記録は少ないようだ。著者は、素晴らしい音響効果を探し出し、実際に確かめて世に発表したいと思った。




世界を巡るスケールの大きな探索が繰り広げられる。人工物に限らず自然の造形物や、世界最長の残響、砂の歌声にまで胸を高鳴らせる。その一方で身近な音にも魅力を感じる。携帯電話の音さえそうだ。鳥たちも日常的な光景のなかで心に響く鳴き声を聞かせてくれる。音に対する意識が研ぎ澄まされ、宝物のような音が自分のそばにあふれていることにはっとする。

ラジオ番組の取材でロンドンの下水道に入り、不思議な音響に遭遇したことで著者は「音の驚異」のコレクターとなったという。ロンドンの下水道はヴィクトリア時代に敷設されたもの。地下6メートルの円筒状の長いトンネルで内壁はレンガ張り。音が消えるまでの時間を計ると、9秒後に遠くからうなるようなエコーが返ってきた。音は往復3キロの道のりを行って戻ってきた。声が円筒状のトンネルの内壁に沿ってらせんを描きながら遠ざかっていく。錯覚だろうか。

音の探求では音楽が重要な役割を担う。音楽には強い感情を喚起する力があるからだろう。ウィーン楽友協会の大ホールでマーラーの壮大な交響曲を聴けば、背筋に震えが走るのを感じる。音楽はきわめて有効な研究ツールであり、心理学者や神経科学者は脳の働きを解明するために音楽を使っている。

世界で一番よく音の響く場所はどこか。大聖堂などでは、まるで残響が生命をもつように鳴り響き長く持続する。残響は音楽の質を高め、オーケストラの音の厚みを増す。ボストンのシンフォニーホールはシューボックス型で奥行きと高さがあるが横幅は狭い。残響時間は約1.9秒で音楽が美しく響く。どの程度の残響が望ましいかは音楽による。例えば、ベートーヴェンの音楽には豊かな響きが求められるだろう。

自然との関係では生き物の声だ。昆虫、鳥類、これらの発する音は、記憶の一部となって、時や場所や季節を呼び覚ます。たいていの人が鳥の鳴き声に安心感を覚えるのは、鳥が歌っていれば安全だということを、人類が数十万年かけて学んできたからだろうか。科学的に検証されてはいないのだが。

轟音の多くは超自然的なものだ。イングランド中部でとんでもない騒音が発生したが、これは戦闘機が引き起こしたソニックブームによるものだった。一方、世界で一番静かな場所は無響室だが、完全な無音とはいえない。自分の体内で生じる音を抑えられないからだ。聞こえるのは血液が体内を循環する音だろうか。

サウンドアート作品というのがある。イギリスのブラックプールのオルガンは潮の状態を音で表す「海の音楽的表現」だという。コンクリート造りの防波堤の先へ黒いプラスティック製の管が延びている、潮位が上昇すると管内の空気が圧縮されて、オルガンに送り込まれる。波の力でパイプの下部から送り込まれた空気がスリットに到達すると、そこから空気が勢いよく噴出し、パイプの本体内の空気を共鳴させて音が出る。まるで列車の警笛のようで、物憂げなオーケストラの響きがただよう。

産業革命以来、私たちの耳はテクノロジーによる音や騒音に攻め立てられている。Eメールの着信音とか電気掃除機のやかましく甲高い音とか。今から20年ほど経って振り返れば、今日のテクノロジーが発する音の中にも懐かしい「音の驚異」となっているものがあるだろう。著者はコンピューターゲームの電子音を聞くと、10代のころに友人の家でゲームをしたことを思い出すという。格別に風変わりな音や心地よい音ばかりが懐かしさをかき立てるわけではない。個人的な記憶と結びつく日常的な音も、そこに含まれるはずなのだ。


◆ 『世界の不思議な音』 トレヴァー・コックス著/田沢恭子訳、白揚社、2016/6
――奇妙な音の謎を科学で解き明かす The Sound Book
The Science of the Sonic Wonders of the World

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