■ 『シベリア追跡』 椎名誠の大黒屋光太夫の追跡 (2005.2.13)

このところ椎名誠に入れ込んでいる。モノカキとして実質的なデビュー作だという『さらば国分寺書店のオババ』に始まって、『哀愁の町に霧が降るのだ』、『岳物語』などと続けて読んでいる。シーナの本は読み始めると止まらない。あとは『銀座のカラス』と『本の雑誌血風録』だ。どの古本屋にも在庫は豊富にあるので調達するにはまったく困らないのだ。

ようやく『シベリア追跡』まで読了しウームこれで打ち止めか。『シベリア追跡』は『週刊ポスト』に1年間連載したノンフィクション。江戸中期のひと大黒屋光太夫を追ってシベリアを旅して書いたもの。丸谷才一に、「いやー、あれは本当に面白かった」とほめられたとのことだ。

大黒屋光太夫 (だいこくや・こうだゆう) は伊勢白子の船頭。1782年(天明2年) 米を江戸に廻漕中、駿河沖で突然の暴風に遭遇し舵をへし折られる。制御を失った千石船に乗ったまま8カ月間漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着する。

17人の船乗りたちは、漂流中に1人が死亡。アムチトカ島で4年を過ごすうちに、飢えと寒さでさらに7人を失う。生き残った9人は流木を集めて船をつくりカムチャッカに渡る。その後、ロシア人たちの協力を得てオホーツクに上陸し、そこから極寒のシベリア大陸を横断。光太夫たちは帰国を嘆願するために3年がかりでペテルブルグにたどりつく。エカテリーナ2世に謁見し、ようやく帰国がかない再びシベリアを横断して、日本に帰える。十年にわたる旅の果てに日本に戻ってきたのはわずか3人になっていた。しかも、帰着の地、根室で留められるうちに無念にも1人が亡くなる。

井上靖の『おろしや国酔夢譚』との併読は必須ですね。シーナのスタイルは、傍観者ではない、実際出かけて行って、触り、食べ、飲み、間近でみたものについて微細にルポするというものだ。マイナス59度のシベリアの厳寒期はどうか。吐く息が顔の表面をなでて空中にのぼる、その時マツ毛や眉にくっついた水分が瞬間的に凍ってしまうので、上マツ毛と下マツ毛がくっついてしまって眼が開けにくくなる。

「居住霧」という現象がある。零下36度以下になると人間や動物の吐く息、家庭での煮炊きする時に出る湯気、自動車の排気ガスといったものが空中に出たとたんにたちまち凍ってしまい、それが冬中晴れることのない濃霧となって市街地を一面に覆う。

いずれの本を読んでも、日本人として大黒屋光太夫を誇りに思う。ちっとも卑屈にならずにロシアで堂々と振る舞っている。しかも日本に帰るのだという希望を失なわず、終始仲間を励ます。さすがにペテルブルクでのエカテリーナ女帝との拝謁には緊張したようだが。『北槎聞略』を読むと当時のロシアをおどろくほど精密に記録しているのがわかる。宮廷には3人のカストラートが居たこともわかる。見聞きすることすべてを記録しておこうと強く決心していたのだろう。


◆ 『シベリア追跡』 椎名誠著、集英社文庫、1991/3


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