■ 『そのとき、本が生まれた』 ヴェネツィアのマヌーツィオ (2015.2.23)
グーテンベルクが聖書の活版印刷を行ったのは1452〜55年のこと。ドイツで生まれた印刷術は、イタリアで出版の最盛期を迎える。出版が最も活況だったのは1526〜50年にかけて。とりわけヴェネツィアでは盛んであった。アルプス山脈の麓から噴出する豊富な水を利用する製紙工場が集中していたからだ。ヴェネツィアではヨーロッパ全体の半分が刊行されたという。
やがて出版ビジネスが生まれる。出版に投資し、文具商や卸売商、印刷工、著者らとやりとりする人物を出版人と呼ぶようになる。なかでも、ヴェネツィアで活躍したアルゴ・マヌーツィオは、出版界のミケランジェロ、革新者とも呼ばれた初の出版人でもあった。
マヌーツィオは、出版する本について、きちんと内容を見て選んだという。文化的な教養、そして市場が求めているものを理解する直観を併せ持っていたのだ。出版界はこの時代を境に大きく発展する。マヌーツィオの果たした役割は大きかった――文庫本の考案、イタリック体の発明とか。句読点の使用を始めたのも彼である。ペトラルカやダンテなどのベストセラーを出版したのもマヌーツィオだ。出版に携わった20年間、ひとりで132冊もの本を刊行している。
出版を手がける以前のマヌーツィオについては明らかになっていない。1450年頃ローマ南東の小村で生まれたとされる。1489年頃にはヴェネツィアに移る。すでに40歳目前だった。最初に印刷したのはギリシャ語の文法書だ。当時の誤植だらけのギリシャ語やラテン語の古典を読むのにうんざりして、より質の高い本を手にしたいからだったとする説がある。
マヌーツィオは1ページに二段組みで印刷することにより、分厚い写本のページ数を格段に減らすことに成功した。さらに既存のローマン体活字をもとに、ボローニャの彫金師によって改良した、イタリック体を採用した。紙がきわめて高価だった時代には、傾斜した字体はスペースを取らず、ローマン体に比べて行数も少なくてすむため、紙の節約になるという大きなメリットがあった。イタリック体は「印刷史上で最も成功をおさめた発明」といわれる。
マヌーツィオのもうひとつの偉大な発明品は、文庫本である。ポケットに入れて持ち運びのできる小型の本で、本文 の注釈がない。こうした本は価格も安く、学生やヨーロッパの大学の研究者に歓迎された。また、文庫本の登場によって政治家や学者が余暇に読書をするようになったという。読書は、学習のためだけでなく、気晴らしに本を読むという考えが、この時代から現代に受け継がれているのだ。
16世紀には、地理上の発見と航路の開拓が相次ぐ。当時のヴェネツィア人の地理学に関する能力は世界中で並ぶ者がいなかった。貿易活動が盛んであったこと、経済・文化の中心地として栄えていたために、何世紀にもわたって地理の知識を蓄えてきたからだ。イタリアでは1492〜1550年にかけて、新世界に関連する本が98冊出版された。ヴェネツィアにおける地理・地図学出版の黄金期であった。
印刷で用いるあらゆる活字のなかで、音楽に関するものは最も複雑である。さまざまな記号が必要となるうえに、技術的にも言語の活字とはいっさい共通点がない。この分野が発展したのは、やはりヴェネツィアだった。楽譜の出版と、それを一度で印刷する方法はヴェネツィアで商業化された。さらに、医学の基礎を取得するための教科書、これらもまた15世紀末〜16世紀初めにかけてのヴェネツィア出版界の輝かしい功績である。
16世紀後半には、ヴェネツィア貴族の関心は不動産や農業、商業活動へと向けられた。大西洋航路が切り開かれたことにより、主要な貿易ルートは地中海の外へと移っていく。ヴェネツィアは出版の中心的な役割をヨーロッパ北部へと譲り渡した。衰退は街の印刷機の数に反映された。1588年には120台以上あった印刷機が98年には34台にまで減った。すでにヴェネツィアの優位は失われていた。
◆『そのとき、本が生まれた』 アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ/清水由貴子訳、柏書房、2013/4
――こちらにもアルゴ・マヌーツィオの活躍が載っている――
■知の再発見 双書80『本の歴史』ブリュノ・ブラセル著/荒俣宏監修、創元社、1998/12
本と人文主義――アルド・マヌーチオ――。人文主義の影響を受けた印刷業者のなかで、最も有名な人物は、ヴェネチアの印刷業者アルド・マヌーチオ(アルドゥス・マヌティウス)だろう。1453年にビザンティン帝国が滅亡して以来、イタリアには多くのギリシア人の学者が避難してきた。その結果、ギリシア研究が大きく飛躍したこの時代に、彼はラテン語・ギリシア語の教師から印刷業に転じ、古代ギリシアの作品を原語で次々と刊行したのである。
マヌーチオは「アルドのアカデミア」と呼ばれた親しい学者たちの協力を得て、ヴェネチアで1494年から1515年にかけて約150点の本を出版した。そのなかには、学生向けの廉価なポケット版の本が含まれており、彼はこのシリーズのためにペトラルカの筆跡をまねた美しい活字「イタリック」を考案した。内容にも装幀にも細心の注意が払われたこのポケット版のシリーズは大きな成功を収め、しばしば他の印刷業者からの剽窃の対象となった。
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