■ 『唱歌誕生』 ふるさとを創った男  (2013.8.22)




我々が慣れ親しんできた小学唱歌――「春の小川」「朧月夜」「紅葉」、そして「故郷」。
これらはすべて、高野辰之(作詞)岡野貞一(作曲)のコンビが生みだしたものである。


本書は、縦糸としてこの高野辰之と岡野貞一の二人の成長をたどり、偶然の出会いから派生した唱歌誕生のストーリーを展開する。それと交錯する横糸には、島崎藤村の新体詩が、大きな推進力となっていたことが関わる。興味深い構成である。また、高野辰之は蓮華寺の娘と結婚するのだが、その蓮花寺を舞台とした『破戒』を発表して藤村は名声を得るという因縁がある。

文部省唱歌ができたのは大正の初めである。西洋音楽は、ドレミファソラシドの七音音階でつくられるのが普通。日本人は伝統的に五音音階の世界に生きていた。ファとシが出てこない――いわゆる四七抜き音階と呼ばれるものだ。なんとか西洋音楽を日本人に歌えるようにしたいという思いが、文部省唱歌にはある。はじめの「春が来た」とか「春の小川」にはファとシが入っていない。低学年から高学年になるにしたがって、だんだん七音音階が歌えるようにファとシが入るようにした。

高野辰之(1876-1947)は、明治9年、長野県生まれの国文学者。向学心に燃えて故郷長野を飛び出しが、志を果たせず下級官吏になった。地方の師範学校出の学歴に阻まれ、文部省教科書編纂委員などを務める。一方の岡野貞一(1878-1941)は、明治11年、鳥取県生まれの作曲家。教会で讃美歌に出会い音楽の道を進み東京音楽学校に入学。卒業後に母校で教鞭をとった。

高野辰之と岡野貞一を引き寄せたのは、教科書の固定化という国家プロジェクトである。日清戦争をきっかけに国粋主義の風潮が強まり、教科書国定化の気運が盛り上がる。明治33年、文部省内に国定教科書を準備するために調査委員会が設置され、野辰之は教科書の執筆を命じられた。

明治37年の新学期には全学年の国定『尋常小学読本』が完成する。従来のものと比較して、文語的な言い回しが減り、言文一致体の口語文が多くなった。文章ひとつひとつが短い。句読点の打ち方も、きめがこまかい。わかりやすく、系統的に日本語の読み書きを習得させようとする意図がある。これが文部省の唱歌編纂につながる。

文部省唱歌が出揃ったのは大正3年である。性格が正反対の高野辰之・岡野貞一の二人は、唱歌編纂の機会でもなければ、出会うことがなかっただろう。「故郷」も「朧月夜」も「紅葉」も、「春が来た」や「春の小川」が、忘られることなく、長い命を得たのは、辰之と貞一の組み合わせが絶妙だったからだ。


◆ 『唱歌誕生――ふるさとを創った男』 猪瀬直樹、中公文庫、2013/5

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