■ 『「昭和」という国家』 司馬遼太郎:自己を絶対化することで国を誤っていた (2009.10.27)


この秋からNHKテレビで『坂の上の雲』が放映されるそうだ。本書の増刷はこの放映時期にタイミングを合わせたものであろう。司馬遼太郎は生前、『坂の上の雲』を映画とかテレビとかの視覚的なものに翻訳されたくないと言っていた。ミリタリズムを鼓吹しているのではないかという誤解を懸念していたのである。

日本はなぜ「昭和」という破滅への道を歩んだのか、という疑問を司馬遼太郎は戦後40年ずっと考え続けてきたという。最初に考えさせられたのは、昭和14(1939)年のノモンハン事件であったという。日本という国を、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいて、その国全体を魔法の森にしてしまった。魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略も太平洋戦争も現れた。

参謀本部という組織が国家の中枢に居すわった。この仕組みは、さかのぼれば、日露戦争の勝利が始まりのときであった。ここから日本はいわゆる帝国主義の道を歩み始めたのだ。日本国民は日露戦争に完全に勝ったと思っていた。だからロシアからたくさん金を取れ領地を取れといった。日比谷公園に集まった群衆はほうぼうに火をつけたりした。この群衆こそが日本を誤らせたのではないかと、司馬は言う。日比谷公園の群衆は日本の近代を大きく曲げていくスタートになったと。

軍部および政府は日比谷公園で沸騰している群衆と同じように――戦争の状況を全部知っているにもかかわらず――不正直に群衆のほうにピントを合わせる。もしそのとき、勇気のあるジャーナリズムが日露戦争の実態を語っていればという。満洲の戦場では、砲弾もなくなっていた。これ以上戦争が続けば自滅するだろうという、きわどさだったのだ、と。正直に書けば、日本はその程度の国なんだということを、国民は認識しただろう。

牧野伸顕(大久保利通の子ども)の回顧録から、忘れられないエピソードが引かれている。昭和2年ごろ、日本に長く住んでいた英国人女性が帰国することになり、横浜のホテルでささやかな送別会が開かれた。その女性は評論家であり、列席した十数人の日本人は各界の重鎮。誰かが彼女に「日本はどうなるでしょう、あなたの意見を聞かせてほしい」と聞いたそうだ。すると彼女は「滅びるでしょう」と答えたという。

ヨーロッパの国々は生まれつき比較ということを知っている。たとえば軍事であれば、フランスはナポレオンの昔から砲兵が得意と。歩兵はドイツのほうが上であると。フランス人も知っていてドイツ人も知っている。イギリス人は陸軍はさほどでないにしても、海軍は大変なものだと、どこの国でも知っている。そうやってヨーロッパ人は比較して物事を考えるのが自然と基礎になっている。

やがて日本では軍人が政権をとるでしょう。 日本の軍人は、地方から出てきて幼年学校に入り、士官学校、陸軍大学と閉鎖社会で育ち、日本陸軍が世界一だと思いこんでいる。比較を知らない人たちが政権をとった場合、日本は滅ばざるを得ない。そう彼女は言った。

日本のジャーナリズムは、自国を解剖する勇気を持っていたか。日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝ったのだということを、冷静に客観視して、自分を絶対化せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思う。そういうレベルの言論があれば、太平洋戦争は起こらなかっただろう。日本軍は満州事変以後、自己を絶対化することによって国を誤っていったのだ。


◆ 『「昭和」という国家』 司馬遼太郎、NHKブックス、1999/3第1刷(2009/2第14刷)

<追> 本書の表紙にレイアウトされているのは三岸節子の作品だ。

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