■ 『天皇と東大』 大日本帝国の生と死 (2006.1.7)





『坂の上の雲』のあとがきで、司馬遼太郎はこう言っている。「頭の中の夜の闇が深く遠く、その中を蒸気機関車が黒い無数の貨車の列をひきずりつつ轟々と通りすぎて行ったような感じだった」と。この立花隆の上下2巻の大冊を読み終わった感想もこれに近い。



現代日本は、大日本帝国の死の上に築かれた国家である。大日本帝国と現代日本の間は、まだ無数の糸でつながっている。大日本帝国はとっくの昔に朽ちはて分解して土に返ってしまったようで、実はその相当部分が現代日本の肉体の中に養分として再吸収され、再び構成部分となってしまっていると、立花は言う。

いまこそ、近現代史を学び直すべきときなのだ。現代日本の成り立ちを知っておけよというメッセージをこめて、この本を書いたと。たしかに、われわれは、きちんとした近現代史の教育を受けていない。

東大の歴史を語るという形式をとりながら、近代国家日本の国家論的歴史をたどっているる。一方の主人公は東大だが、もう一方の主人公は天皇である。制度としての天皇、国体としての天皇という意味である。

五・一五事件(1932)で日本の政党内閣の時代は終わる。以後、軍人内閣ないし軍部と妥協した内閣がつづく。そして天皇機関説の翌年が二・二六事件(1936)であり、そのまた翌年が盧溝橋で日中戦争(1937〜)がはじまる。満州事変以降、日本は切れ目なしのテロと戦争の時代に入り、太平洋戦争(1941〜)の時代へと突入していく。

とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転換期にさしかかっているというのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない。たとえようもなくひどい知力の衰弱が社会をおおっているため、ほとんどの人が、ちょっと考えればすぐわかりそうなはずのものがわからず、ちょっと目をこらせばみえるはずのものが見えなかったのだという。

そして、立花はこう締めくくる。あの時代は、後世の我々が考えている以上に右翼的、国粋主義的であったと。世の中一般の人々のものの考え方、感じ方が、今の我々には想像を絶するほど、右翼的であり天皇崇拝者だったということだ。みんな本当に信じきっていたらしいのである。


◆ 『天皇と東大 大日本帝国の生と死』 (上・下) 立花隆著、文藝春秋社刊、2005/12


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